カンディハウスの家具製作工場は、よくデザインされた本社ビルの1階にあります。はじめてこの工場を見学したのは二十数年前ですが、広い工場の床がフローリング仕上げであるのには驚きました。それと何か不思議な感じが私にはそれ以来ずっとあったのですが、今朝「あっ、そうか」と気がつき、確認のために同社の表玄関ではなく建物横の搬出入口を見に行きました。やっぱり1階の床は地面から1メートルほど高くなっています。北海道の寒さ対策になりますが、下の写真のごとく実はトラックの荷台の高さでもあったのです。ここまで計算づくであれば、この合目的性恐るべし、です。
長原実という方は永遠に青年であり続けることでしょう。情熱、美意識、行動力、探究心、負けず嫌いの上に絶対的不屈の正義の信念があります。1990年の10月上旬のこと、さる事の交渉に長原、吉竹両先輩と私3名で、巨大労組の幹部3名のところに出向きました。「事ここに至ればやむなし」と私ら2名があきらめた瞬間、ドンとテーブルを叩いて立ち上がった長原さんは「痩せても枯れても我々は経営者だ。そんなプランをのめるか!」と一喝。奥に引っ込んだ彼らは、数分後「そちらの考えで結構です」と、…交渉は終結しました。
繊細な神経と生真面目さ潔癖性は日本人の誇るべき美徳ですが、内向的で不合理性の原点でもあるといえます。数十億人の一人ひとりは食べ所有し喜怒哀楽する生命体のひとかけらですが、それでも「私はここにこのように生きているぞ」と存在を広く認めてもらいたいという欲望があります。「自己主張」とは「広く認められること」と同義語です。世界に広く認められない欲望の発露は「自己満足」にしかすぎず、実は没個性あるいは似非個性だといえます。自己主張とはオリジナリティと勇気とパワーのかたまりで成立するものです。
「非合理ゆえに吾信ず」という部分と、目的を明確にし最適手段をたどる合理性とは、人間の行為や決断の両輪です。緻密に事を重ねることと、大きく鷲掴みする巨視感を共有してこそ、自己主張は花開きます。群れてばかりいると羊になります。引っ込んでばかりいると苔むします。大食を続けると豚になります。死んだ魚は目が虚ろです。他人の目ばかり気にしていると神経が細ります。優しさを秘めない強さは脆く折れます。さあ〜、さあっ。
2012年の5月も下旬、北海道は今まさに、新緑目に染む季節ひととき。
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