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第1回 OKUNO JOURNAL 創刊。最初のゲストは…。

石原:今日これから海外にお出かけになるというお忙しい中、
2時間も時間を裂いていただき本当にありがとうございます。
私共のビルで間もなく季刊誌「オクノジャーナル」を創刊いたします。
その初回には重松社長にと、前々より私は勝手に決めておりましたので
よろしくお願いします。

重松:よろしくお願いします。

石原:まず、お生まれは?

重松:1949年の12月4日。神奈川の逗子市です。

石原:逗子というのはたしか相模湾沿いでしたですよね?

重松:そうです。三浦半島の付け根の辺りで鎌倉の隣です。横須賀も隣町になります。

石原:何かで読んだのですが、もう一度生まれる事ができるとしたら
建築家になってみたいとか?

重松:建築家と言っても、建物の建築だけではなくて、
できれば都市までをデザインする様な。 
例えば、僕が想像する豊かな街って、農家もあって、川があって、
海に面してて、とかね。
僕は根っから水辺が近くにあるのが好きなんです。
そんな街づくりをしてみたいですね。ちょっと夢みたいな話ですけどね。

石原:都市計画だけではなく、
その街の建物もご自分で造ってみたいですか?

重松:もちろんそうですね。建物も、区画もそうですし、景観などといった
全てを含めての都市の建築をです。

石原:今までの建築家で、この人はなかなかおもしろいな、少なくとも
私の考えに近いな、という方はいらしゃいますか?

重松:とんでもないですよ(笑)。
素人の私がそんなことを言うのはおこがましいですよ。
ただ例えば、イサム・ノグチ、ル・コルビジェ、フランク・ロイド・ライト
などの仕事っていうのは本当に凄いと思いますし、
自分達は畑こそ違いますが、そういう仕事ができたらなあと思います。

石原:重松社長は1989年にユナイテッド・アローズを設立なさいますが、その前にそもそもあの「ビームス」を立ち上げられたのはいつでしたか? 

重松:1976年で、私が26歳のときです。

石原:その前は?

重松:23歳で明治学院大学を卒業して、「ダック」という
婦人アパレル会社に就職しました。

石原:あ〜あの、ちょっと英国調の・・・

重松:いえいえ、違います。それは、「ダックス」じゃないですか(笑)。

>>次回は「ビームス」設立前、重松社長が
  70年代に影響を受けた「アメリカ」
  についてのお話です。お楽しみに。(次回11月8日予定)
これまでの特集対談

ユナイテッドアローズ社長
重松 理 ver
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2006 spring
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