back to home >>

第4回 1ヶ月目は6坪で198万円しか売れなかった。

石原:それでどうだったんですか?ダックでは。

重松:実際にラインやったりして当たったりもしましたけど、なんかおもしろくなかったんですよね。
で、企画部長と喧嘩して、転職を決めて輸入家具屋とか生地屋とかいろいろ受けて、その他お誘いも受けたのですが、やはりどれもお断りして。そうこうしている間に1年先輩の設楽さん(現ビームス社長)と親しくなって、1000万円出してもらって、それを元手に始めたのがビームスなんです。ブラックマーケットしかないアメリカの輸入衣料を、なんとか小売業として表に出したいと思ってましたので。
ちょうどその頃、湘南で第1次サーフィンブームの波が押し寄せました。そのサーファーが身につけているもののほとんどがアメリカのモノでして、輸入衣料っていうのは絶対これから売れるだろう、という認識もありましたしね。

石原:重松社長はビームスを立ち上げた時、服などはどこから仕入れされたんですか?

重松:どこで仕入れれば良いかの知識も何もがなかったので、ともかく直にアメリカに行っちゃいました。
で、買って手持ちで持ってきて、そうこうしているうちに色んな会社との付き合いが出てきましたね。

石原:その時が始めてのアメリカだったんですか?

重松:いえいえ、もう既に何回か出張などで行っていました。
その時のアメリカの衣料といえばもう宝の山みたいなものでしたからね。誰も入って来てないんですから。何を持ってきてもほとんど売れましたね。ただその中でもきちんとしたものを選んで持って来てましたし、それらっていうのはパトリック、ナイキ、OSHKOSHとかです。新しいブランド、日本には売ってないブランドを店頭から「20枚買うから2割引け」とか言って買ってきていましたね。

石原:それは普通のお店の店頭からですか?

重松:ええ、最初は何も知りませんでしたからね。でもその後からはちゃんとメーカーから直に買うようになりましたけど。これが出発点ですね。

石原:しばらくしても、やっぱり手持ちで持って帰ってきてたんですか?

重松:そうです。送っちゃうと税金かかりましたし、運賃もかかるし全部手荷物でした。

石原:それは反応すぐに出たんですか?

重松:すぐ売れました。1週間くらいで。やっぱりそういうクチコミっていうのは早くてですね、もう、入ってくるのを待ってる状態でしたね。
そうなったら換金してすぐアメリカに行くっていう感じでした。

石原:ということは、創業のころは行ったり来たりですか?

重松:1ヶ月に1回はいっていました。

石原:そのときは何人かで行っていたんですか?

重松:2人づつで行っていました。
1ヶ月目は6坪で198万円しか売れなかったですけど、8ヶ月で500万売れるようなりました。

石原:利幅っていうのはどれくらいあったんですか?

重松:ま、そのころから大体半分です。1年で月商1200万売れるようになりましたね。

石原:その頃にはもう輸入ルートは確立されてきたんですか?でないとフォローなどとても間に合いませんよね?

重松:ええ、それでだんだん国内のモノも始めるようになったんです。

>>次回は世界と日本「日本民族」に関するお話です。
  重松社長の日本人観が垣間見えますよ。お楽しみに。(次回11月29日予定)
これまでの特集対談

ユナイテッドアローズ社長
重松 理 ver
第1回目 >>
第2回目 >>
第3回目 >>
第4回目 >>
2006 spring
copyright (c) 2006 by OKUNO all right reserved