石原 |
中学、高校ではクラブ活動は何をなさっておられましたか。
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今津 |
野球です。ずっとキャッチャー、打順は中学の時は4番です。不動の4番でした。
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石原 |
はあ
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今津 |
高校でも1年生の後半からレギュラーになりましたよ。でも2年生の春の大会でスライディングした時に脚を骨折しましてね…。それでやむなく退部しました。その頃から私はずんぐり型でしたから相撲も強かったですよ。
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石原 |
大学は中央大学の法学部に行かれました。弁護士志望あるいは政治家志望だったのですか?
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今津 |
さぁ〜? それでもなんとなく政治とかをやりたいな、という感じは少しはありましたかね。
今日は、私が高校時代に繰り返し読んだ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」第5巻を持ってきています。この本は何回も何回も読んだ本ですが、特に感動したのはこの本の最後の方です。
(とページをめくる)それは竜馬が殺される2日前のこと、竜馬の身を案ずる中岡慎太郎に、竜馬は静かに「生死は天命にある」と言ったと書いてあるのですよ。その2日後に京都の近江屋で見回り組に急襲されて竜馬は生命を落とすのですが、それを司馬遼太郎はこう書いています。「天に意思があるとしか、この若者の場合は思えない。天がこの国の歴史の混乱を収拾するために、この若者を地上にくだし、その使命が終わった時惜しげもなく天に召し返した。」と。読むたびに私はこれに感激しましてね。
そんなこともあって大学に入る頃にはただ平凡にサラリーマンになって過ごすことなんか、全く考えなくなっていました。もしかしたら何かそういう道にすすむチャンスがあるかもしれないとの思いで中央大学法学部に入りました。
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石原 |
高校の何年生頃ですか。
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今津 |
はじめて読んだのは1年生の時です。繰り返し読んできっと政治家志望が心の中に蓄積されていったのだと思います。近年、政治を志す人に多いのですが、竜馬やJ・Fケネディの生き方に刺激を受けて頭からぬぐい去れなくて、やがてそれが底流化して、自分の人生の方向を形作っていくのではないでしょうか。
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石原 |
竜馬を読む以前の小学校、中学校時代の中で、ご自分の政治家志望の原点はありませんか。
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今津 |
親父やおふくろの生き様にもあるのかも知れません。両親の記憶としては、働いている姿しか私にはないのですよ。おふくろはモンペをはいてゴムの前掛けでゴム長靴です。仕事ばかりですから私の入学式や運動会にもおふくろは出られなくて、祖母が代わりでした。おふくろも辛かったでしょうね。
そういう両親をずっと見てましたから、曲がった道だけは行ってはいけないと自分でも考えてきました。両親はそういうこともあまり私達には言うこともなく、ただ黙々と働いていましたが。言い訳をしない、説明もしない。私達子供はその後姿を見て育ちました。
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石原 |
今思えば、その親の年齢は40才代、日本が戦争に負けて物資不足の中を必死に生き抜こうとしていたのでしょうね。
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今津 |
親父が17才の時に祖父は亡くなったのですが、祖父は他人の保証をしたことで今の金で数千万円の借金を負ってしまって、朝から晩までリヤカーを引いて頑張ったようです。旭川市立病院のそばの報恩寺のおばあちゃんに聞いたことがあります。「あなたのおじいちゃんはイイ男でね、モテまくってましたよ」って。要するに昔で言う「飲む、打つ、買う」ですよ。加えて人が良くて、他人の借金の保証人をやって、そんな借金を作っちゃったのでしょう。
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