石原 |
いつ頃から「俺は自立して生きていかなければならないな」と考え始めたのですか。
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長原 |
姉が3人、僕は男の3番目です。土地が5ヘクタールくらいですから、農業を継ぐにしても次男までがやっとです。だから僕は早く自立するしかなかったのですよ。中学の後半になれば先生も「お前進学するのか」とか進路を聞いてきます。私は「早く自分でメシを食えるようになりたい」ということだけは立場上ハッキリと考えていました。高校には、姉達が行きたいとせがんでせがんでせがんで、それでも行かせてもらえなかったのでね。「女に学問はいらない」とかいう親父のセリフを思い出しますよ。それでついに泣き寝入りをしちゃった姉の姿を見ていますからね…。だから「自分は高校に行きたい」なんてことをとても言えないですよ。中学を卒業したらどこかで働こうと、もうそれしか考えていなかったですよ。
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石原 |
それで、家具の道に。
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長原 |
その頃、旭川に道立公共職業補導所というのがあって、木工の仕事も授業料タダで1年間教えてくれましたから、別に深い考えもなく手っ取り早く木工職人になろうと思っただけですよ。そこには先輩もいて、3年くらいするとみんな自立して家具職人になっていましたから、「俺もその道を行こう」とね。家から旭川のその職業補導所までは15〜6kmです。夏は自転車で通いましたが、冬になると間借りしていた先輩の部屋に「“飯炊き”やるからここに居させてくれ」と布団を持って無理矢理転がり込んでね。
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石原 |
そこを終えた後、就職は熊坂工芸というところだとか。
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長原 |
15歳で職業補導所に入って16歳で就職です。18歳までは毎月1斗の米を実家からもらっていました。その頃はそんなにおかずがないので、梅干だけを相手に1斗食べていましたよ(笑)。私の初任給は2千円で、今でいえばせいぜい3、4万円です。18歳までは「見習い」身分で、本当の自立はできていません。先輩職人から「この野郎!」とか「技術は盗め!」「真似ろ」とか、どなられながら教えられましたよ。
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石原 |
そうやって2、3年経つと、かなりの技術は身につくものですか。 |
長原 |
その頃の制度では、作ったものは何が何でもお客さんに買ってもらわなければならないものでしたから、誉められるように一生懸命やらざるを得ません。給料も安いし必死にやりましたよ。まあ木工の仕事は軽作業なので、それくらいの期間頑張ると一定の技量は身につくものです。ある程度の技量が身につくと「請負制」になり、会社と職人は「1個いくら」と加工賃を決めて家具を作ります。そうなると収入を増やそうとみんな夜遅くまで一生懸命働きます。請負制の職人は半独立とはいえ、工賃は交渉ではなく一方的に親方=社長がきめるものでしたよ。
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石原 |
家具製作のための基礎的技術というのは、主にどのようなものなのでしょうか。
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長原 |
家具づくりの技術の第一は組み立てるための穴やホゾ(突起)を正確に作ることです。第二は接着技術です。例えばツキ板は単板の表面に1mm以下の薄皮のような板を接着するのですが、当時の接着剤のニカワは熱可塑性があり、熱いと溶け、冷えるとすぐ固まるものです。そのニカワをハケで手塗りして、素早くツキ板を貼り、手で押さえるのですが、美しく貼るのは大変なのです。今はコンピューター制御のホットプレス機で、接着剤も自動的に塗られて、ツキ板をパチッと貼り合わせてしまいます。穴やホゾもみんなロボットがやっています。それも非常に正確にね。でもその時代は手作りですから人によって違ったものが出来てしまうのですよ。
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石原 |
家具を組み立てるための「技術の神髄」とはどういうことですか。
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長原 |
それは言葉で言えば“ほどよい”ということです。具体的にいえば、細工するために「墨付け」といってまず木にエンピツかナイフで線を引きます。エンピツのとき、その線の太さの内側を切るか外側かで組み合わせた場合の“手頃なキツさ”が決まります。これは本当に微妙なものです。今はコンピューターでプログラミングして、マシーンで切りますから簡単ですが、その当時はみんな手です。それらのコツはもっぱら先輩に教えられて知っていくものでした。それがいわゆる「職人芸」ですが、それにしても腕には上手ヘタがあって間違いなくその人の性格が出るものですね。
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石原 |
ご自身はその頃とびきり上手な方でしたか?
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長原 |
いやぁ… まあ普通じゃないですか…(笑)。ヘタではないけれど、特別ウマい方だとは思っていませんでしたよ(笑)。でもまあ“請負”になってからは稼ぎは人よりありましたね。
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石原 |
ということは仕事が早い…。
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長原 |
割合早いほうでしたね。私がヨーロッパに行って仕事をした時はそういう面では彼らより断然優れていましたよ。精緻な神経や精神を持っているとか、一生懸命「魂を込める」とかは日本人の得意な分野です。彼らはそういうことについてはおおざっぱで「ドイツベア(ドイツの熊)」といわれるくらい不器用です。
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石原 |
はあー。
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長原 |
ところが経営の仕組みや物作りのシステムなど全体的な「エンジニアリング」については彼らは本当に圧倒的に優れているのですよ。ソニーもキャノンも頭角を現した原点は「小型化」だったし、自動車も日本製は部品が優れているのですよ。でもデザインは外国製の方が良いというように、違いが根本的にあるのですよ。どうも日本人の感性は大きく物事をとらえるのが不得手ですね。政治の世界でもそうですよね。
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