back to home >>

第1回 吉田カバン創業者、吉田吉蔵。

石原:オクノジャーナルのインタビューに快く応じていただき
本当にありがとうございます。
さて、このインタビューの主旨はその方個人のものの考え方などが
浮かんでくれば良いと思っていますのでどうぞよろしくお願いいたします。

吉田:どうぞお手柔らかに・・・(笑)
今日はちょっと喉を痛めてまして、声が聞きづらいかもしれませんが・・・。

石原:本当はもっといい声であるのだがと・・・(笑)
さて、吉田カバンを語る時はどうしても創業者のことから、
ということになります。
それで少し調べさせていただいたのですが、
お父上は明治39年(1906年)にお生まれとか。
その創業者、吉田吉蔵氏はどんな方だったのでしょうか。
たまたま雑誌で見つけましたこのお写真(右の写真)見せていただくと
とても凛々しいお姿ですが。

吉田:これねぇ、この写真はいつ頃撮影されたものか
ハッキリわからないのですが。
父(=創業者)は12才で田舎から出てきたのですが
私の口から言うのもどうかと思いますが、
ともかく素晴らしい大変魅力的な人でした。
それからマジメであること。
その上何でもチャレンジするというか、
ものすごくファイターであるということですね。
親父の生まれは神奈川県の寒川で、そこの農家の伜なんですが
親父の母親は士族といいますか、その父は西南戦争で戦死しています。
その人は私から言えば曾祖父なんですが、かなりの地位にいた人で、
その娘つまり私の祖母ですが、
どういうわけで寒川の田舎に嫁いで来たのかわかりませんが、
まあ貧乏の中でですね、凛としていたといいます。
親父はその影響を相当受けているのじゃないですかね。

石原:ほほう・・・なるほど・・・

吉田:曾祖父のことについては警視手帳が出てきてわかった事なんですが、
出身は会津(福島)でした。

石原:維新で賊軍となった会津出身で警視庁上位の方とは相当ですね。

吉田:まあ、それまでの家系は私も調べてみましたが良くわからないのです。
そういう母に育てられたんだろうなと思うと、私の親父のことが
わかるような気がするのです。

石原:なるほど。

吉田:私のお袋は親父と2人で商売の方をやっていましたから、
幼稚園とかずっとその祖母に私は面倒を見てもらいました。
私には非常にやさしいのですが親父にはずいぶんキツくってね。
その祖母は神田明神に私をいつも連れてお参りに行っていた、
そういうのを憶えているんですが。

石原:そんな中で創業者であられるお父上は、
当時独立するには自転車屋か鞄屋しかなかった、というようなことを
何かで読みましたが、その辺の事情については?

吉田:ええ、それはよく親父から聞いてます。
8人兄弟の親父にとってはまあ、口減らしですよね。
親父が12才の時に、町の中に当時世話役というか
長老というような人がいたんですね。ちょっと遠い親戚だったんですが。
その方の御縁で自転車屋と鞄屋の話があったということです。
そこで親戚会議をやったというのです。
みんなは自転車屋はこれから絶対に産業になるという。ところが私の親父は
手仕事についてものすごく興味を持っていたみたいで。
自分が親戚中を説得して鞄屋になったんだ、
ということを直に親父から聞いています。


>>次回は創業者である吉田滋会長のお父上が鞄屋をはじめた頃のお話です。
  お楽しみに。(次回1月24日予定)

これまでの特集対談

吉田カバン会長
吉田 滋 ver

第1回目 >>


ユナイテッドアローズ社長
重松 理 ver

第1回目 >>
第2回目 >>
第3回目 >>
第4回目 >>
第5回目 >>
第6回目 >>
第7回目 >>
第8回目 >>
第9回目 >>
第10回目 >>
第11回目 >>
吉田カバン創業者、吉田吉蔵
クリックすると拡大します。
2006 spring
copyright (c) 2006 by OKUNO all right reserved