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第2回 革の匂いがすごいカバン工場のど真中で生まれたんです 石原:それにしても例のお父様の凛々しいお写真を見せていただきますと、 寒川という田舎のなかにお生まれですが、 かなりのモダンな感性をもっておられたのですね。 吉田:その辺の事はよくわかりませんが、親父ってすごくお洒落だなあって、 私もこの写真を最初に見たときはびっくりしました。 石原:それこそユナイッテッド・アローズの重松社長がご覧になっても 「これはいいね」とおっしゃるんじゃないでしょうか。(笑) 吉田:話はそれますが、わたしは「自分の商品を売る前に企業を売れ」と よく言っていたのですが、そのために百貨店などで 吉田カバンの文化催事を年に何回かやりました。 ある時、この写真を催事会場で飾ったんですよ。 するとこの写真がすごく好評でね。 この写真をくれ、と言う人もいたんですよ。 親父はお洒落だったんだなとその時もつくづく思いました。 石原:何度もその辺をお聞きしますが、お父上はやはり 鞄屋を選ぶということの中にお洒落性や、 もっと言えばヨーロッパに対する強い思い入れが あったんではないでしょうか。 曾祖父が警視庁のトップということはおそらく当時の西洋文明が 一番入ってくるところにおられたのでしょうから。 吉田:たしかに軍服や警視庁の制服を見ましても 当時の庶民の着ているものとは違いますよね。 やはり影響があったんでしょうね。 この写真を撮った後親父は兵隊に行くので、 これはおそらく17、18才くらいのものだと思います。 親父も写真を見ている私に対して得意気な顔で、 「どうだ、カッコいいだろ」っていった会話を憶えています。 ついでに私のお袋のことを申し上げておきますと、お袋も親父と同郷です。 さきほどの祖母が毎日近所のお宮さんにお参りに行くと、 必ずそこの掃除をしていた女の人がいて。 それを見そめて祖母が親父と結婚させたんです。 親父が独立した直後、30才です。住まいは神田の須田町の長家で、 住まい兼工場という環境です。そこで吉田製作所が創業したというわけです。 石原:はい 吉田:親父は丁稚で入った鞄屋から最後の最後まで離してもらえず 29才でやっと独立したのですが、 その条件が大阪のお得意先を貰って独立ということです。 私は独立の翌年、昭和11年に生まれました。 石原:なるほど・・。
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