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第5回「一種の勘当みたいなものですよね。」

石原:持出しは500ドルが上限とかあった頃ですね。

吉田:1ドルが360円で500ドルが上限。
留学するとか日本の為に必要だとかいう理由と政治力がなければ・・・
ま、それも取れなかったんですが。

石原:ついこの間までの中国みたいに・・・。

吉田:そうですね。それで私は一種の勘当みたいなものですよね。
外国なら何をしたっていいじゃないかということで、私は気楽なものですよ。行ってカンツォーネでも聴いてみようかなぁ・・・と。

石原:(笑)そんな感じですか。

吉田:いや、そんな感じですよ。

石原:(笑)真面目にカバン屋ではなくて、アッチが中心で。
そもそも家業をあまり手伝っていなかった?

吉田:いや、アルバイトでは手伝っていましたが・・・。
それで丸紅が靴と鞄とジュウセイなどの技術向上のために派遣しようと。

石原:ジュウセイってなんですか?

吉田:鞣製というのは原皮には毛がついていますが、これをとる事です。
そのままではカチカチになるか腐るかですからね。
それを薬品によって鞣す(なめす)技術が日本ではまだまだだったんですよ。
で、そういう人たちを育てなければならないということで
私も丸紅の社員になって。我々には「公益」があるということにして
海外渡航ができたんですよ。

石原:ああ、外枠はそういう感じで
内的には勘当を受けたというイメージですか。

吉田:そう。最初は本場のカンツォーネを期待していたんですよ。
ところが出発の日、羽田へ行ってびっくりしたんですよ。
ウチの工場の人たちから材料屋さん、社員の親戚にいたるまで
みんなノボリを持って・・・まるで出征兵士ですよ。

石原:はあ・・・

吉田:いや本当にそうなんです。
そのように送りだされたのがBOACで南廻り便。日本から乗った乗客は6人。

石原:1960年代でそんな感じだったですか?
僕は安保やってましたけど・・・。

吉田:岸内閣とか・・・アイゼンハウアーとか・・・そうです。
1960年です。ローマオリンピックの年でしたから。

石原:ああ、そうですね。アベベが裸足で走った。

吉田:そうそう。アツピア街道をね。いや本当に感激だったですね。
僕は現地でマラソンを見に行ったんですよ。アベベが凱旋門の中に・・・

石原:オリンピックの名場面のひとつでしたね。

吉田:感動ですよ。真っ暗でね、照明が浮かび上がる。

石原:あ、あれは夜間のレースでしたか。

吉田:夜闇の中からスポット浴びながら入ってきたんです。
靴を履いてもボコボコになってしまう程の石畳のあの街道を裸足で走って。
あれにはびっくりしましたね。
そうです。ちょうどそういう時に向こうに行ったんです。

石原:羽田から一気に飛んでしまいましたが。

吉田:そうそう、羽田では・・今考えると笑っちゃいますが、
タラップの所から見えるんですよ。
皆ががんばれっていうノボリを振ってるのが。
その時はさすがにこれだけの人に送られてるっていうので緊張しましたね。

石原:緊張感と期待感に溢れて。

吉田:いやいやそんなに深刻に考えてなかったな。
現実はね、飛行機に乗るとガラガラで人相の悪い人が何人かいるんですよ。
ヒゲ面の外国人などあまり見た事なかったし。

石原:南廻りだし・・・

吉田:で、その中に一人牧師さんがいたんですよ。
牧師さんの側なら何かあった時に助けてもらえると席を変わってね。
それと日本人のスチュワーデスさんが一人乗っていたので、
ああよかった。これで安心と思っていたら香港で降りちゃったんです。

石原:香港の後は?

吉田:シンガポール、テヘラン、イスタンブールと。

石原:ところで言葉の方はどうだったんですか?

吉田:日本語だけ。英語は片言くらいはできましたけど。
言葉としては全然・・・。


>>次回は、ようやくたどり着いたイタリアでのカルチャーショック、
  そしてあの「グッチ」との劇的な出会いとは。お楽しみに。(次回2月21日予定)

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