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第6回「日本の鞄はとてもじゃないけど追いつけない。」 石原:降りてローマではどうだったんですか? 吉田:カルチャーショックでしたね。日本人は誰もいないんですから。 私の指定されたホームステイ先がミラノの郊外です。 ローマからドメスティックに乗り換えてミラノに行くんですが、 それがお笑いなんです。 「ここで待っていろ。」と言われたので待っていたのですが、 いつまでたってもお声がかからないんですよ。 そのうち不安になりましてねぇ。 空港のカウンターに行って「どうしたんだ。」と言ったら、 「お前を散々アナウンスで呼んでた。何やってたんだ。捜してたんだぞ」と。 石原:イタリア語で捜してた。(笑) 吉田:いや、ぜんぜんピンと来なかったんですよ。 それですぐ目の前にお巡りがいて オートバイのサイドカーに乗せられて飛行機まで。 それでまたビックリなんですがチップを要求されてね、お巡りに。 考えられないですよね。 飛行機ではみんなイヤな顔して待ってるんですよ。 石原:そりゃイヤな顔しますよね。 吉田:喉はもうカラカラだし。それで「ウォーター」と言ったら 出てきたのが飲んだ事もない炭酸水。 どれひとつ取ったって、まあショックでした。 石原:そこでまあ、無事ミラノに着いてどうでしたか? 吉田:そこなんですよ。もう震えたんですよ。 ホームステイ先はコモから車で30分程先のスイスに近い バレーゼという小さな田舎町です。英語で言うとバレッセなんですが。 ここは水が良いということもあって皮革産業が発達しているんです。 そんな小さな田舎町に一軒のカバン屋さんがあったんです。 そこで鞄を見たんですよ。 やっぱり震えましたね。違ったんです。 「へぇー素晴らしいな」っていうね。そこで僕は目が覚めたといいますか、やっぱりカバン屋の息子だったんです。 それまでバカなことやってたんですけれども、 その時がはじめてイタリアのカバンの神髄に触れた時ですね。 デザインも素材も色も技術も、もうとにかく震えたですね。 日本には無い柔らかい鞣しの。 全然違う質感に僕は目覚めたんです。 石原:ほぉ 吉田:それから後もいろんなカバン屋さんを廻るにつれて、 こりゃ日本の鞄はとてもじゃないけど追いつけないと、 もう挫折感というかすっかり落込んでいたんですよ。 この水準まで上げるのに何年かかるんだと。 目が覚めたと同時にガックリきました。 石原:ハア 吉田:それからもいろいろあるんですが、幾らか自信をつけることができた きっかけのカバンがこれなんですよ。(古いカバンを手にとって) 石原:これがお父上のお作りになった例のグッチとの 劇的な出会いのカバンですか。 吉田:そうです。そのグッチとのことについてですが、 私の修行先の皮屋さんで革を仕分けする時に、 特定の鞄メーカーに収める革は何百枚という鞣した革の中から いいやつだけをピックアップしているんですよ。 個室に「どこ用」っていうのが書いてあって、 そこはシークレットゾーンなっていまして、 そのなかにグッチという名前があったんですよ。 当時私はブランドがわかりませんでしたが、 ただグッチという名前は東京でも聞いていました。 そこにいい革がどんどん入って行くんです。 「グッチってそんなに凄いのか?なんとかグッチのお店に行ってみたい。」と 思いましたがフィレンツェまで行くお金がないんですよ。 石原:お金の国外持出しの上限も500ドルまでですしね。 吉田:少し闇ドルは持って行きはしましたけれど。
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