back to home >> | |||||||||||||||||||||||
第8回 グッチを床の間に在庫? 吉田:その事で感じたのは、 素材やデザインでは日本とは差があるけど技術的には負けていないぞと。 その会話の中でエルメスやグッチの話がでて、 「我々のルーツはみんな馬具商に結びつく」と。 私も親父から「俺のルーツは馬具屋だ。」ということを聞いていましたから、 これはやはり日本にも技術的にはキチッとしたスタンスがある。 努力すれば追い付くかも知れないなと、 いくらか気持ちが楽になってきたのを覚えています。 石原:それがこのバックですか・・・。 吉田:これが縁でその後グッチの品物を入れるようになって・・。 そうなんです。グッチは私が日本に最初に入れたんですよ。 全然売れなかったんですがね。 石原:その頃グッチは日本で売ったら、いくらぐらいだったのですか? 吉田:高いんですよ。アタッシュケースで25万円くらい。 その頃、ぼくは大学生になったばっかりですが 1万円くらいで1ヶ月生活してましたね。 そこで結局勉強してなかったツケがきたんですよ。 (笑)普通、大学でやる貿易とか関税とかの問題を 全く勉強してませんでしたからね。 石原:ハア 吉田:グッチの次男坊がね「日本で売ってくれ」と言うんです。 それで少し入れようという事で400ドルと400ドル、 全部で800ドル入れたんです。 私は向こうのプライスに少しだけ上乗せになるだろう くらいに思っていたんですが、 実際にはそれに輸入税や当時は物品税があって めちゃくちゃな値段になるんです。 それを知らないで大体これくらいだろうという想定で買ってきましたから。 そんなで全然売れなかったんです。 親父にものすごく怒られましてね。 石原:なるほど。 吉田:しかしこれにはまだ色々な話がありましてね・・・ 私が幸せだったのは親父が職人だったということ、 お弟子さんが非常に多かったということ。 そういう人たちがどんどん復員してウチを支えてくれた。名工ですよね。 売れずにそのままのグッチが2階建の家の10帖の床の間に 山になって残っている。 石原:グッチを床の間に在庫? 吉田:そう。何万円というやつばっかりですよ。 そうするとうちの職人さんが定期的に手入れに来てくれるんです。 湿度が違うのでカビが出てきますから。金具も磨いてくれて。 ところが、そういう職人さんが手入れをしながら イタリアにはこういうこういう技術があるのか、 デザインが面白いなとかいって、結果的にはみんな勉強になったんですよ。 石原:それはそれで。 吉田:まあ始めは息子がバカやってこんなもの買ってきて 手入れをしてやらないと仕方ないから、 ということでやってくれたわけですが。 石原:そこはプロ同士ですね。 吉田:プロ同士です。 それは結果的に私共の製品の向上に役立っているんですよ。 偶然ですが、それはラックでした。 石原:偶然とは言え、現物を当時のおそらく最高水準を 手に入れる事が出来た・・・。 吉田:そんな余裕はなかったですね。当時は。 石原:話を少し戻しますが会長ご自身はグッチ、そしてヨーロッパから 様々学んでいらっしゃった? 吉田:本当にいろいろね。 しかし当時、お金の問題もあって なかなかヨーロッパのあちこちを自由に回れなかったのは残念ですが。 石原:修行は何年ぐらいでした? 吉田:1年半です。 日本に戻って昭和30年代の終わり頃になって ウチにもある程度の余裕が出来てからまた行きはじめました。 イタリア人はその頃は戦前の三国同盟のよしみもあってか 日本人にすごく親近感を持っていましてね。 年輩の方など会った途端に「アミーゴ!」になるわけです。 鞄屋の工場なんかも見せてもらったりできたのですが、 その後大勢の日本人が行くようになってすぐコピーなどをするものだから、 すっかり嫌がられるようになってしまったのは本当に残念です。 ですが私共の企画の人間はそれは徹底していて、 絶対にコピーはしないというプライドを持ってくれています。
|
|||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||
クリックすると拡大します。 |
|||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||