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第11回「私達の商品がなければ旨さが引き立たないようになれ」

吉田:私が最初にやった仕事というのは、
ですから小売り屋さんに直接売る事でした。
メーカーの吉田を問屋形態にして直に百貨店等に
納める事に取り組んだんです。
また、みんなが一生懸命努力して作った商品が、
実際の店頭では色んな他社の商品に混じって置かれて
せっかくの匂いも発散して、
光るものが光らないという思いもありましたし。

石原:なるほど。

吉田:そこでがんばって、まず最初に大阪の百貨店で口座をとりました。
その次が東京の百貨店です。
1970年前後かな・・・。
ともかく当時最高といわれた百貨店の正式な口座は
何億というような価値のもので大変だったんですが
1970年頃になんとかとれました。
これでウチもようやく問屋になったという印象が強く残っています。

石原:そういうものなんですか・・・。

吉田:それにしても百貨店を中心にやっていますと
なかなか利益がでてこない。いろいろ経費がかかっちゃってね。
最近は少し良くなったところもありますが。
百貨店や量販店を中心に商売をなさっている方は本当に苦しいと思いますよ。

石原:消費者から見ればそれはわかりませんね。

吉田:実際はもう、とにかく「へぇ〜っ」というような状況ですよ。
ですから私共は他の流通チャンネルを伸ばそうと努力しましたし、
社員もみんながんばって新しいマーケットを作ってくれました。

石原:その意味では「吉田」はお父上によって技術の基礎を作り、
会長の代でマーケティング的な発展を遂げたといえますね。

吉田:本当に我が社のスタッフ全員の力でね。
実際私は企画の人たちには一切口を出しませんし、
みんな自由にやっています。
結局はカバンの好きな人間の集団なんです。
それは企画のみならず、営業の人達も
社員みんなカバンが好きで結束しているんです。

石原:前にソニーの盛田会長がご健在の頃、
私が「技術のソニーですよね」と申し上げたら、
「いや君、ウチはマーケティングが強いんだよ。」
と言われびっくりしたことがありました。

吉田:ものすごくそれ、わかります。
私共もいろんな弊害などですごく苦労した時期がありました。
その時私は「刺身のツマになりたい」と言いました。
私達の商品がなければ旨さが引き立たないようになれ、という意味です。
みんなそれを意識して個性ある商品を作ってくれました。
売上至上主義ではなく自分の顔、自分の柱を明確にするということに
努力しました。

石原:ええ

吉田:企画の人間は命をかけて真剣にやってくれていますよね。
もちろんそれでも欠点もありましょうが、
創業者の理念、モノ作りへのこだわり、
自分の納得するものしか出さないという信念がね。
これは口には出しませんが皆、顔に出ていますよ。
それを見ているととても嬉しいですよ。
そんな様子を見て私ももう引いてもいいんじゃないかなぁ・・と(笑)

石原:なるほど。
さて、このインタビューの、しめくくりの質問として
お聞きすることなのですが・・・・・。
「人生とは?」

吉田:難しいですな・・・う〜ん・・・
「人生は短い」ということです。
あっという間ですよ。人生とは。
あれもしとけば良かった。これもしとけば良かった。

石原:思いきり道楽しておいて良かったですね(笑)

吉田:(笑)若い時はしたいことを思いきりやっとくべきだと思います。
遊ぶなら徹底的に遊んでおくべきで。
そこまでやるとバカバカしくて今更遊べませんよ。はっきり言って。
それをひっくるめて人生はあっという間ですよ。
短い。
私は若い間に是非この事に気付いてもらいたいです。

石原:本日は本当に長時間ありがとうございました。
(吉田会長は次の用件で急いで席をたたれました。)


>>いかがでしたか? この対談は2002年10月に行われたものです。
  さて次回からは上海特集です。お楽しみに。(次回4月3日予定)

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吉田カバン会長
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吉田カバン創業者、吉田吉蔵
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