第4回「美意識はなかなか一口では言えないのが中国。」
石原:日本でも近年本州と四国を結ぶ橋(瀬戸大橋)を架けました。
私の友人にその関係者がいたのですが、高いサスペンディングを
垂直に建てるということは施工上とても大変なことだそうですね。
丁:難しいことが3つあります。第一にはおっしゃる通り、
支柱はコンクリートで作りますが、この施工の時に垂直に
きちんと立てることは大変難しいです。
第2に温度変化に対する対応です。
3つ目はケーブルを張ることですが
同じテンションを維持できるようにしなければなりません。
これは設計上の問題であるとともに施工上のことでもあります。
いずれにしてもこれらのことをクリアしないと
大きな橋は作れません。
石原:なるほど。そこまで大変なものだったんですね。
ところで、今、揚子江には何本の橋がかかっていますか?
丁:10本です。1番目が武漢大橋、続いて南京です。
それらは30年以上前に作られました。
今作っているのは揚州ですが、いままで長江にかけたものの中で
最も川幅の広いところです。江陰というところでもやっています。
石原:それらはみんな同型の橋ですか?
丁:いいえ。
江陰の橋はサンフランシスコのゴールデンゲイトブリッジのような
ケーブルブリッジです。
普通、長い橋を作る場合は3つの形式があります。
ケーブル橋=吊り橋、斜張橋(しゃちょうきょう)、
桁橋(けたばし)の3つです。
石原:一般的にいって、その3つの形式のうち、
どれが一番低コストですか?
丁:一番安くすむのは桁橋です。
ただ、橋が長いと橋脚が何本も必要になりますが。
吊り橋が一番コストがかかりますね。
[揚州大橋] SKETCHED BY DR. DIN
石原:話を少し変えさせていただきます。
丁院長は当然にも今の中国の建築からデザイン全般にわたって、
トップを走ってらっしゃる方でしょうから、
この質問を興味深く聞かせていただきたいのでが、
建築のジャンルだけでなく、広い角度で見渡した時、
中国及び中国人の美意識、
感性をどのように捉えていらっしゃいますか?
丁:一般論といっても中国は広いですし、
多民族国家ですから各民族によっても違いますし。
国の主導権がいろいろ移ってきたことも合わせて、
時代によっても美意識は変わります。
つまり、歴史、文化、生活様式、考え方等の要素が絡み合って、
その時その場所の人々の美意識が表れているものでしょう。
私の専門分野の建築のことを意識してお答えしますが、
一般論としての美意識はなかなか一口では言えないのが中国だと思います。
石原:例えば院長は上海のお生まれですが、
北京生まれの方とはちょっと違うな、
というような感想をお持ちですか?
丁:かつてのように、お互いの交流があまりなかった時代には
いろいろ違いを感じていたんでしょうが、
今のように通信手段が発展し、
なんでもがリアルタイムで交流しているわけですから
上海と北京の違いはほとんどないと言っていいでしょう。
時代によってやはり美意識は違いますよね。
例えば中国古来の唐の時代には女性はふくよかな方が
きれいだと思われていましたが、
今ではスレンダーである事が美しい。
やっぱり美意識を考えると「教育」の要素が大変影響し、
重要なのではと思います。
教育のレベルが低いと、具体的なものに反応しやすいでしょう。
石原:教育レベルが低い人は肉感的・・・?
丁:教育レベルが高い人、
より教育を受けた人はいろんな物を見る事ができ、抽象的なこと、
目で見る事ができないものも見たり感じたりできますよね。
石原:美意識についてもう少し続けさせていただきますが、
院長は世界中いろんな方と交流なさっているとおもいますが、
ヨーロッパの人々との違いを感じられますか?
丁:それは違います。
まあ、中国は広いですから、
北と南、西と東とでは大分感覚が違うように、
ヨーロッパと言っても国や民族によって美意識の違いは相当ありますし。
それにしてもヨーロッパは濃厚な文化の蓄積がありますし、
優れた文化的基盤を持っていますよね。
美意識を向上させるのは一番の条件は環境の良さでしょうから。
しかし、今後は地域によるその違いは
どんどんなくなっていくのではないでしょうか。
殊に建築のジャンルで言えばそういうことだと思います。
石原:私はファッション産業の一角にいて、
そのことは本当にそう思います。
パリで流行りミラノで流行るものは、
やはり東京でも流行るというようなことを。
丁:ことにコスモポリタン=国際的な大都市の間の共通性は
いっそう進むことでしょう。
>>次回は、丁院長の趣味のお話など。
お楽しみに。(次回5月1日予定) |
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建築設計研究院と丁院長 同済大学建築設計研究所は建築、土木、都市設計等の各セクションに80〜100人の研究員を有し、数百人規模の巨大な組織です。国家の巨大プロジェクトの設計に中心的役割を果たしています。その研究院の院長、丁潔民氏は1994年、若干37才で院長になり、工学博士、教授、博士生導師の肩書きを持っておられます。なお、現在の中国の学問、実業、行政などの各部門の責任者は、その多くが30才台後半から40才台の知識とエネルギーが溢れる世代が中心となっているそうです。
同済大学 1907年ドイツ人によって創設された「同済徳文医学院」という医学院がその前身。「同済」とは心を合わせて助け合うという意味ですが、日本ではなぜかあまり知られていません。しかし中国では清華大学と並び称される国立の名門総合大学です。キャンパスの中心は上海市の北部郊外の四平路沿いにありますが、総面積は実に141.8ヘクタールもあります。広大な敷地内には緑が多く、その中には一般道路が走り、住居や商店もあり、巨大な学園都市のような感じです。理学、医学、工学、文学、法学、、経済学の全分野に渡り、理学院、建築と都市計画院、電子とメディア工程学院など十数学院をはじめ、3つの付属病院、50学科、大学院80研究科を擁しています。それぞれの分野は国家建設の重要な役割を持ち、研究センターとなっています。 建築学部と医学部が特に有名ですが、殊に建築学部は中国では清華大学の建築学部と双璧をなす存在です。学院総数37,000人、教授630人、助教授1,300人のほか、外国人を含む多数のスタッフが集まり活気に満ちています。
インタビュー経緯 現在の中国において、建築設計の中心的存在のお一人、丁博士に単独インタビューが可能になったのは(株)クローバーシステム、社長で旭川日中友好協会のメンバーである栗田和成氏、札幌在住の高翔氏のネットワークによるものです。また、現地上海では通訳兼案内を勤めていただいた同大の厳万翔院長助理に万全の協力体制をとっていただきました。皆様に心より感謝とお礼を申し上げます。
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