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第5回「ただただ命懸けの思いでした。」

木内:ニュージーランドのウェリントンへ行ったとき、
外務省の方がヨットハーバーに連れて行ってくれました。
「素晴らしいですね」と言ったら、
「ここで半年暮して制作して、半年日本ということを約束してくだされば、
土地も家も提供します。」と言われて。
これは魅力でしたね。
けれども、飛行機で片道9時間です。
9時間はもう辛くて。エコノミーでしょう。
腰が痛くなって新聞紙を通路に敷いて、
10分でもいいから横になりたい、という思い。
随分と心が動いたのですが。

石原:僕はニュージーランドに行ったことはありませんが、
おそらく青い海が一面に見えて、
綺麗な風景の中に居を構えて、
そこで創作活動をなさると、また見る対象も違い、
違う作品も生まれていたかもしれませんね。

木内:のどかですし、空気はいいし・・・
車で走っても、人間を探すのに苦労します。
もうどこ行っても緬羊があふれていて、
ああいうところで暮らしたいと思いましたね。
転んで足を怪我しなかったら、
随分外国から展覧会の招待が入っていたので、
いろいろな国に行けたのに、と思います。

石原:お怪我は骨折か何かですか?

木内:私共の「雪の美術館」が完成した平成3年の秋に
過労で倒れて、次の年にリハビリを兼ねて運動をしていたら
雪の上で転んで複雑骨折してしまい、
治るまで相当かかりました。
去年あたりからようやく杖をつかなくなったのです。

雪の結晶・顕微鏡写真の展示(雪の美術館)

薬師寺の幡「白鳳伽藍」は、
私が1970年から延々と作り続けてきた作品です。
それがようやく今年の3月21日の最後の大講堂落慶で終了しました。
NHKでも1時間の特集番組をやっていただいたのですが。
そのご奉納の儀に挨拶をしたのは塩川財務大臣、
茶道の千宗室大宗匠、芸術院会員の中村晋也さんと
私との4人でした。
ご奉納の儀が終わって、役員の皆さんから
「大講堂の幡がこんなにすごいものだとは思ってもみませんでした」と
言っていただいて。
幡1流の長さが4.5m、幅が70cmのものが6流ですから、
「落慶まで1流でいい。あとは何年かかろうと、目録でいただければ」と
いわれていたのですが、
やはりすべてきちっと並べて
ご覧いただきたいと頑張りました。
自分でもよくやったなと。何かに取りつかれるというのか・・・
成せば成る、というか、
昔の方はいい言葉を残していますね。
それで気がゆるんだのでしょうね、
怪我したところがまた痛み出して・・・。

石原:その時お身体はお辛いでしょうが、
心の中は楽しいという感じだったんでしょうか?

木内:いえいえ、ただただ命懸けの思いでした。
もう死にもの狂い・・・
これを成し遂げなければ、やらねばならないと、
もう夢中です。
目はきっと吊り上がっていたでしょうし。
そして終わりが見えてきた数日前から
足が腫れはじめまして。
自分ではもう最後まで気は抜かないと思っていても、
どこかでは間に合った、という思いがあったのでしょう。

石原:3月21日がタイムリミットだったのですね。

木内:そうなんです。
その前に旭川の方々、北海道の皆さんにもお見せしてから納めたい。
ご奉納したらもう二度と戻って来ないですからね。
そこで以前から、そのつどご奉納してきた
金堂、西塔、玄奘三蔵院、東京別院の幡も
全部そろえて展覧会を開いたのです。
昭和58年以来、大小合わせて72流の幡をご奉納させていただきました。
旭川の国際染織美術館に始まり、
札幌、東京日本橋、大阪のそれぞれの三越で
3月16日まで展示し、ぎりぎりにご奉納したのです。

石原:ぎりぎりのご奉納。命と引き換えみたいなものですか。

木内:交換みたいなものでしたね。
制作が終わるころは、、足が腫れ始めて、
東京行く時には草履はもう入らない。足袋も入らない。

石原:それまでは腫れなかったのですか。

木内:腫れなかったのです。
ただ足が痛いな、膝が痛いな、
腰が痛いなというのは一ヶ月位前からありましたけれども。
でもいつものことでしたから。


>>次回は、織物の話からすこし離れて、織元の若い頃のお話です。
  お楽しみに。





2006 spring
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木内綾と優佳良織略歴

昭和37年「優佳良織工房」発足
昭和43年-開道百年記念式典にご来道の昭和天皇・皇后両陛下に献上
昭和45年優佳良織民芸館 開館
昭和48年「日本の美術展」招待出品(パリ市)
昭和51年ハンガリー国際織物ビエンナーレ招待出品/「日本工芸展」招待出品(スペイン・バルセロナ市)
昭和52年日本民芸公募展、最優秀賞/「日本伝統・現代工芸展」招待出品(ギリシャ・アテネ市)
昭和53年国際織物ビエンナーレ、金賞
昭和55年優佳良織工芸館 開館
昭和57年「優佳良織・木内綾展」(東京・大阪・九州)読売新聞社主催
昭和58年ニュージーランド・国立オークランド博物館主催「木内綾展」/奈良薬師寺に「旙」四流奉納
昭和61年国際染織美術館 開館
昭和62年日本現代工芸美術展招待出品、内閣総理大臣賞/北海道文化賞
平成元年通産省ふるさと再発見、通産大臣賞
平成3年雪の美術館 開館
平成7年文化庁長官賞
平成10年北海道功労賞
平成12年「優佳良織/木内綾作品展」朝日新聞社主催(東京・神戸・名古屋)

これまでの特集対談

ユナイテッドアローズ常務取締役クリエイティブディレクター
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優佳良織 織元
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