第5回「できることならあの世まで持っていって使いたいなぁと思います。」
石原:ところで、私はついついこういう
無礼な質問をしてしまうのですが、
お持ちの1100脚の椅子の中から
どうしても10点選ぶとすれば、
どういうことになりますでしょうか?
織田:う〜ん・・・それはやっぱり難しいですね。
ただ、椅子の作家で申し上げますと、
フィン・ユールさんが好きですね。
フィン・ユールさんと僕は実はよくよくの御縁がありまして。
以前彼に会うためにデンマークに行ったのですが、
僕が入国手続きを終え、腕時計を現地時間に合わせた
まさにその時刻に彼がなくなりました。
77才でした。
ぼくの誕生日が7月7日、
つくづく何か因縁を感じました。
その時の帰りの飛行機の中で、
彼の命日にフィン・ユール追悼展をやろうときめました。
その追悼展用の図録を仲間とつくったのですが、
それがデンマークで大変好評になり、
もう一度フィン・ユールを見直そうというきっかけになりました。
彼に関する本がつぎつぎに出版されたり、
商品が生産を再開したり。
石原:はぁ…。
織田:また、つい先週、デンマーク大使館から
わざわざ電話をいただいたんです。
フィン・ユールさんの奥さんが突然亡くなられたと。
・・・去年の秋に僕は東京青山のスパイラルホールで、
デンマークの家具デザイナー、ナンナ・ディッツェルさんと
フィン・ユールの奥さんと3人で鼎談したばかりだったんです。
その折り、彼女から「もう一度本をだしてほしい」と頼まれました。
前のをリプリントしただけの再発行では意味がないので、
全く新規にハードカバーの本を
作ろうと取りかかった矢先にです。
さて先ほどのご質問ですが、
やはり10点だけというと非常に難しい。
でも・・・もしそうなったらの「基準」としては、
まず手に入らないものは残しておきたいと思います。
商品化されているのは後からでも何とかなるので。
例えばあそこの部屋の隅にある椅子は
フィン・ユールさんのものなんですが、
あれは非常に貴重なもので、
絶対お金では買えないものです。
ともかく、そのデザイナー達がもっとも素晴らしい時代、
いわば「黄金時代」につくった、
しかも今では手に入らないような素材を使ったものとか、
そういうものだけはできることなら
あの世にまで持っていって使いたいなあと思います。
石原:このフィン・ユールには
今でもたまにお座りになっているんですか?
織田:もちろん、しょっちゅう。
石原:こちらもフィン・ユールのものですか?
(と側の椅子についてお聞きする)
織田:そうです。
1945年に発表されたもので
「世界で最も美しい肘を持つ椅子」と言われたモデルです。
石原:話題を一挙に「自分史」の方向に変えさせていただきます。
お生まれは高知県のどのあたりですか。
織田:高知市の西側に仁淀川と言う川がありますが、
その川の中流、と言ってもかなり山間部ですが、
越知という小さな町です。
親父は戦時中は宮内庁に勤めたりしていたのですが。
兄弟は姉が一人です。
石原:高校まではその町でお過ごしですか?
織田:僕は、自分の家が旅館をやっていたために
たえず来客があるのがいやで、
山に登ったり川で泳いだり、
そんなことばかりしていました。
いまも僕が自然が好きなのは
やはり小さい時からの環境なのだと思います。
家の周りといえば
山や森、清流の川しかなかったですから。
勉強は嫌いで、それよりもともかく
一人で自然の中にいるのが好きで、
高校までには四国の山はほとんど全て登りました。
大学に入ってからも北アルプスあたりに夢中で、
中部地方の2000メートル以上の山は
富士山を除いてほとんど登りました。
団体はどうも合わなくていつも独りです。
>>次回は、数々のコレクションを誇る織田先生の若かりし頃のお話。
お楽しみに。
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【1945】No.45
フィン・ユールの代表作。家具の彫刻家と呼ばれただけあって、その肘の造形は彫刻作品のよう。“世界で最も美しい肘をもつ椅子”と言われる。
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