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第8回「あれは神様が・・・あの光景を見せてくれた。」

木内:行って、資料を見てみると、
安政年間、松前藩のころからの歴史がずっと書いてありました。
織機が各家庭に1台はあったとか、
戦争中は日本で一番毛布を供出したそうですが、
戦後は誰も嫌だとやらなくなったのですね。

石原:北海道が毛布の産地だったのですか。
実は私は大阪の泉大津市、毛布の大産地の生まれなんですよ。

木内:古くから北海道では家族用に織ってたのです。
それが軍用の毛布を織るようにいわれたのです。
なんでも夢中になる方ですから、
そんな歴史をまた夢中になって読んでいるうちに
すっかり時間がたってしまいました。
それで種羊場の建物を出たのです。
月寒の羊ヶ丘はちょうど夕方でした。
北海道の太陽というのは美しいのですよ。
ほんとうに大きな太陽が、赤々として
雲に反射して茜色に輝いているのですよ。
「わー、綺麗だなぁ」としばらく立ちすくんで、
その落日を見ていたのです。
「このような景色は初めてだから、もう少しゆっくり眺めていよう」
という気持ちで、ただ見とれていたのです。
そうしたら、放牧された羊が牧舎に帰っていくのです。
羊たちは、ばらばらではなく、
ツーッと一列になって。みんなうつむき加減で・・・
静かに一列で帰って行くのです。
「羊群声なく牧舎に帰り」と
北大の寮歌にありますけれど、
「ああ、このことか」という思いのままに立ち尽くして。
そしてその羊の群れに見とれている内に、
やがてその大きな太陽が落ちてきて、
羊の列の中にかかっていくのです。
その光景を見たのはこの時の一回きり。
最初で最後ですね。
あとはついぞ見にもいけなかったですけれども。
でもいつも「いつか、また見に行きたい、見に行きたい」と、
この年まで思い続けてきまた。・・・・・
美しい光景でしたね。

石原:今でも覚えていらっしゃいますか。

木内:ええ、目の裏に焼き付いていて、
さっき見たように覚えています。
あんな晴天で、雲が五色に輝いて。
あれは神様が・・・
あの光景を見せてくれた。
私を虜にしたのでしょうね。

石原:織元がご自分の著書で、
チャーチルの「もしもあの時」のことを
書いていらっしゃいましたね。
人生で、もしもあの時、あの場にいなかったら・・・
という。
そのときの羊達もまた「あの時」でしょうか?

木内:そうです。「あの時」ですよ。
それを見て感動して。
私、動物に弱いんです。本当に可愛い、
と思って惹かれる方なんです。
でもあんな光景は見られるものではないですよ。
滅多に。
北海道に生まれ育って、
緬羊がこうやっていて、しかし北海道には
北海道の織物がない。
北海道の緬羊の毛で北海道の織物を作る。
いままで、緬羊の毛はまっぴらと思っていたのが
「いや、緬羊の毛を織っていくこと、
それは私の人生の中で運命的な出会いなのではないだろうか」
という考えに変わっていったのです。

石原:まさに「あの時」ですね。

木内:ええ、その時、
これは自分の生涯かけてでもやり甲斐のある仕事ではなかろうか、
と思いましたね。
今考えますと、
大体私はムードに弱いのかも知れません。

石原:その場面がなかったら今はなかったかも、
でしょうか?

木内:ええ、しません、しません。
あの時の太陽と羊群を見ていなかったら。
本当に全くやる気はなかったのですから。
道楽でおもちゃみたいな機織はやっていても、
それを仕事としてやることの厳しさは、
素人でも分かっていましたから。
また自分にそんな才能があるとも思いませんし。
それなのに、
その場所に1時間ぐらい立っていただけで。

石原:それが、その時が人生の決定的な何かだったのですね。

木内:やはり「もしもあの時」ですよ。
チャーチルの「世界大戦秘録」は、
誰かが「面白いからパラパラ読むだけでも」と薦めてくれたのです。
読んでみたら、あるページに
「人生には、自分の意志ではなく、意志を支配されることがある」
それで「もしあの時に町角で会わなかったら」
というようなことが列挙してあって、
「それによって自分の一生が方向転換させられるということがよくある」。
自分にもそういうことがあったということが書かれていたのです。
「なるほどな」と共感して、
講演の時などよく使わせてもらってます。

石原:もう、偶然もいいところですものね。
その日曇ってたら、また夕方の時間帯でなかったら、
感激もなかったわけですよね。


>>次回は、織元との対談の最終回。
  創作の場でも感じる神がかりなエピソードとは。お楽しみに。





2006 spring
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木内綾と優佳良織略歴

昭和37年「優佳良織工房」発足
昭和43年-開道百年記念式典にご来道の昭和天皇・皇后両陛下に献上
昭和45年優佳良織民芸館 開館
昭和48年「日本の美術展」招待出品(パリ市)
昭和51年ハンガリー国際織物ビエンナーレ招待出品/「日本工芸展」招待出品(スペイン・バルセロナ市)
昭和52年日本民芸公募展、最優秀賞/「日本伝統・現代工芸展」招待出品(ギリシャ・アテネ市)
昭和53年国際織物ビエンナーレ、金賞
昭和55年優佳良織工芸館 開館
昭和57年「優佳良織・木内綾展」(東京・大阪・九州)読売新聞社主催
昭和58年ニュージーランド・国立オークランド博物館主催「木内綾展」/奈良薬師寺に「旙」四流奉納
昭和61年国際染織美術館 開館
昭和62年日本現代工芸美術展招待出品、内閣総理大臣賞/北海道文化賞
平成元年通産省ふるさと再発見、通産大臣賞
平成3年雪の美術館 開館
平成7年文化庁長官賞
平成10年北海道功労賞
平成12年「優佳良織/木内綾作品展」朝日新聞社主催(東京・神戸・名古屋)

これまでの特集対談

ユナイテッドアローズ常務取締役クリエイティブディレクター
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優佳良織 織元
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