第15回「多分人間は空っぽになった方がいいんだと思うんです。」
石原:どれくらいの時間で?
栗野:もう行った瞬間です。御堂に入った瞬間に。
もう楽しくて楽しくて、笑い出したくなるほど楽しくて、ニコニコしていて、
「まずいなぁコレ研修にならないじゃない」なんて思いながら…。
でも待てよ、こんなことって滅多にないから、
この状態を楽しもうと思って…。
ものすごく感覚が鋭敏になって…。
なんか鍵がカチャッてはまったような、
自分の中にあるフタが開いちゃったんです。パカッと。
石原:はぁ…。
栗野:自分の中でハッピーという気分が
頭のてっぺんから足の先まで充満して
…これは何でも許せるな、と思いました。
それまで自分でチョコチョコ考えていた
イヤなことなんかもあったんですが、
まぁあれもいいやこれもいいやというように、
豊かな気分になりましたし、何かラッキーな瞬間でしたねぇ。
自分が強くなれたというか、
自己開放ができて…自分がつまらないことにこだわらなくなって、
「素」の自分になって。
石原:その御堂は無の状態ですか?
栗野:ええ、その中は何もなくてローソクがあって、
ほとんど真っ暗で、虫の音ぐらいしか聴こえなくって…。
それが良かったんだと思います。
石原:芥川賞をとった玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)という作家は、
ある時座禅を組んでいたら100メートルも離れた
川のせせらぎの音がうるさくてしょうがない程の音で聞こえてきた、
というようなことが書いてありましたが…。
栗野:ええ、それに近いんです。
自分がツバをのむ音や、虫が飛んでいる音が、
ウォークマンのヘッドフォンのフルボリュームで聴いてるみたいに
聴こえてきて…
ナチュラル・ハイになっちゃったという感じでした。
肉体とか先入観とかの概念もひっくるめて重りがとれちゃって、
そのセンサーと外的世界が直接交流している感じです。
ですから、あのままやっていれば、
小川のせせらぎが聞こえたと思いますね。
石原:その体験をした人間としたことのない人間とは、
大分違うでしょうからねぇ。
栗野:そのお寺から僕らが学んだことは、
余計なことを考えるのはやめて、
精神を集中して、自分の中のいわゆるヴィジョンの
いろんな概念をそぎ落としたものを出せということだったんです。
強いていえば、僕もはしょっちゅうそれをやっているんで、
そういうものはわりとすぐ出せるんです。
石原:なるほど。禅の話で僕も1つ。
ある修行僧が和尚に禅の極意を教えて欲しいと頼んだら、
それでは今から翌朝まで座禅を組みなさいと言うんです。
「ただし猿のことは絶対考えるな」と念をおされて。
そうしたら朝まで猿ばっかり出てきた、
ということです。
栗野:はは〜。そりゃぁそうですよね。
面白い話しですね。
石原:そこを抜けなければねぇー。
栗野:さっきのおしゃれの話しも一緒ですよ。
きっと僕が思うに、服と上手につき合ったり、
服を楽しめている時というのは、あんまり余計なことを考えずに、
この服しかないからとパッパッパッとやって、
「オッ!」という時とか、
偶然パジャマの上かなんかに何か着ちゃったとか、
そんな風なものですよ。
多分人間は空っぽになった方がいいんだと思うんです。
石原:街を歩いてて、
さもさもわざとらしく見える人がたくさんいますものね。
そこまでやるのという。(笑)
栗野:考えすぎだという。
石原:考えないでやれるということは、
それは極意といえば極意ですね。
話題を変えさせていただきます。
若い人たちにぜひこのようにしろとすすめることは?
栗野:どんどん冒険することです。
下手な先入観を持たないこと。
特にUAに働いている人やお買い物される方は、
いいものはこうあるべきだとか、
これこそいいものだという概念にとらえられがちだと思います。
結果としていいものなら間違いないし、
僕らも追い求めていることですが、
それはあるコンテクストの中でのことです。
それはあくまでも、
ある価値の決まっている中でのいいものであって、
別にディスカウント・ショップの服や
ロードサイド店の服だって、着る人が着ればカッコイイんだから、
これでなければダメだということはないんじゃないでしょうか。
石原:なるほど。
>>いよいよ最終回。栗野氏の「人生」」とは?
お楽しみに。
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2006 spring
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