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第1回「最初の1脚」は…コルビジェでした。給料が4万円弱のときにそれは1脚30万円だったのです。」

石原:今日は旭川市郊外のこんな森にかこまれた、とても広い土地と、
センス溢れる新築の御自宅にまでお伺いさせていただきまして、
ありがとうございます。

織田:ようこそ。
この家は昨年秋に完成したばかりですが、
自分としてもかなり満足しております。
今日のお話しには、むしろ大学の研究室より
ここの方がいろいろ説明しやすいかなと考えましたので。

石原:いろいろ楽しみいっぱいの期待をこめて、
早速インタビューに入らせていただきます。
まず、先生は大学教授というよりは、
一般には「世界一の椅子のコレクター」として
つとに有名かと思いますが・・・・。

織田:のっけからですが、
僕はその「コレクター」といわれるのはどうも好きではないんです。
まるで、金持ちが金にまかして集めている
というような響きがあるものですから。
僕はもともと、いわば裸一貫で高知県の片田舎から大阪に出て、
その後本当に馬車馬のように働いて働いて
苦労して一つずつ買い求めていったのです。

石原:そうだったんですか。大変失礼いたしました。
それにしても、いったいどうして椅子に
そんなにこだわるようになったのか、その動機やいきさつなどを
お聞かせいただけましょうか。

織田:話せば長くなりますが(笑)。
僕が大学で大阪に下宿していた頃、親父が高知から時々出てくるのですが、
僕が案内させられて行った先がいつも家具屋でした。
そこで僕ははじめてジョージ・ナカシマや
アルヴァ・アアルトの椅子をみたんです。
親父はそんなところで1点数万円するような家具を買っていくのです。
僕の仕送りが1万円の時に。
ですから、そんな親父の影響がとても大きいと言えます。
今思い出すと、僕の四畳半の下宿の部屋に
種類の違う椅子が四脚ありましたから。

石原:それはすごい。寝る場所を作るのが大変だったでしょう。 
ところで、本当に椅子をコレクションするきっかけの
「最初の1脚」はどんなものだったんですか。

織田:僕は卒業後、百貨店の高島屋宣伝部に入ったのですが、
そこで買ったコルビジェでした。
給料が4万円弱のときにそれは1脚30万円しました。
それを10回払いにしてもらって。
26才の時、25才で結婚した翌年です。

石原:奥さんはよく許してくれましたね。

織田:ええ、それからも次から次に、
その頃名作椅子といわれたものを
10年もかからずに100脚くらい買いました。

石原:それでは生活ができない。

織田:ですから、高島屋の仕事の他に
イラストの仕事など片っ端から引き受けて仕事をやりました。
40才になる頃まで、毎晩午前3時までは頑張ると決めて。

石原:朝は何時までに出勤ですか。

織田:10時です。きつかったですよ。
いつでも寝不足で。仲間の連中からよく
「死に急いでいる」といわれながら。

石原:よく今までお元気で来られたものですね。

織田:その100脚くらいまでは自分の好みで買っていったのですが、
ある時どうせやるなら椅子を研究対象として集めようと思いました。
そして、「椅子とは?」という問いかけの姿勢を失わないことと
「S」とを引っ掛けて と書くロゴマークを作り、
デザイン事務所以外に1部屋借りて
それを研究室の名前にしました。
そこからは自分の好みではなく、
系統だったコレクションをしていくようになったのです。

石原:それが今に繋がるのですね。

織田:その時、5つのテーマを決めました。
まず、椅子のあらゆる文献、パンフレットなどを集めること。
今それらはタタミ1畳(90cm×180cm)の
大きさの本棚換算で50本分以上あります。
そして、第2は作品ごとにいろんなデータを記入した
「チェアーズ・カード」を作ること。
第3に1850年代以降の現物の椅子を集めること。
第4に、すべての椅子を四方向から
同じ条件で撮影したフォトライブラリーを作ること。
第5に、それぞれの椅子の3図面を揃えること。
そして13年前から加わった第6のテーマは、
『室内』という月刊誌に毎号4ページを書き続けること。
ちょうど今その150回目の原稿を書きあげたところです。
雑誌社が潰れるのが先か、僕が死ぬのが先か
と編集長といつも話し合いながらのデスマッチです。

>>さて次回は、約1100脚あるというコレクションから紐解かれる
  椅子の歴史についてのお話です。お楽しみに。



【1800年代初期】
キアヴァリ チェア
この椅子のルーツはフランスの椅子、これが18世紀イタリアに渡り、その後ジオ・ポンティのスーパーレッジーラを生む。

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