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第1回「それまでの私にとっては国旗は無縁な存在でした。」

石原:本日は本当にお忙しいところ、
しかも奈良・薬師寺の幡(ばん)という大作を
仕上げられた直後のお疲れのところをありがとうございます。

木内:いいえ、こちらこそよろしくお願いいたします。

石原:織元は優佳良織を始めて間もないころ、
天皇陛下に作品を献上なさったそうですが、
そのあたりのお話からお聞かせいただけないでしょうか?

木内:それは昭和43年(1968年)、
天皇が北海道開基100年の記念にご来道になられた年のことです。
北海道庁を通じて、宮内庁から献上のお話をいただきました。
でも、次の瞬間、この北海道からの献上品というならば、
順序としてはまずアイヌ文化の中から
選ばれるのが筋ではないかと思ったのです。
そうなると、旭川の近文(チカブミ)にお住まいの
杉村キナラブックさん。
当時でもう90歳近かったのです。
この方が最もふさわしいと申し上げました。

石原:はあ。

木内:そうしましたら、指名どおり受ければいい、
という意見がある一方、
当時の旭川市長五十嵐浩三さんのように
「木内さんの言うのも尤もだ」という意見もあり、
市から道に、そして宮内庁へと話がいったのです。
でも宮内庁は一度決めた指名を
取り消すという前例はないというのです。
そこで私は取り消しができないのなら、
二人を指名してください、と言いましたところ、
二人ということも前例がないというのです。
しかし、あとから来た私たちは、
先住民族のアイヌの人達に対して
敬意をはらうのが人間として筋というものですから、
道庁も最後には「それはそうだ」ということになって
最後は二人で献上することができたのです。
キナラブックさんはとても喜ばれて、
献上の作品を作られるときは、
毎日沐浴して、からだを清めて製作に当たったとお聞きしております。

石原:その時の北海道知事はどなたでしたか?

木内:町村金五さんでした。

石原:あの力のあった町村さんだから
最後のところは宮内庁と折り合いをつけられたんでしょうね。

木内:北海道のためにも、アイヌ民族のためにも。

石原:それはしかし、国家のためにも正しいことでしたね。

木内:正しいです。そして私もね。よく頑張ったなって…。

石原:そのときは失礼ですが、おいくつ?

木内:昭和43年ですから43才です。
私は昭和の年がそのまま歳です。
両陛下のご来道の折には送迎をさせていただきました。
もう最前列で真近に陛下を拝顔して。

石原:一度お聞きしたかったのですが、
天皇陛下に直接お会いになると
どういう感じですか?

木内:杉村キナラブックさんもご一緒で
お迎えしたときの感慨は、
自分たちの作品が献上できたという感激に加えて、
念願叶って、二人で・・・
前例のない形で実現できて。
やっぱり感激だったと思います。
私は皇室の大ファンなのです。
皇室はやっぱり、日本民族にとっては大事と考えています。
当時私は優佳良織の作家として
いろいろな国からの招待が続いておりました。
時には日本の作家7、8人の方々と
ご一緒のときもありました。
各国の大使館を通じての招待ですから、
行く先々で宿泊は一流のホテルです。
それらのホテルでは、滞在されているVIPの方々の国の
国旗が庭園に飾られているのです。
私たちのときも日本の国旗が飾られました。
感激でした。
それまでの私にとっては国旗は無縁な存在でした。
国旗があった方がいい、とか、
無い方がいい、とか、
そんなことには無関心だったのです。
しかしちっぽけな私達のような作家が泊まっているんですけど、
朝、政府差回しの迎えの車に乗る時、
庭を見ると、日本の国旗がひるがえっている。
その時国旗というのが、こんなにも人間の心に響いて、
誇りというか、嬉しさというか、
そういうものを感じさせてくれるものかと思いました。
日本の作家がここにいる、
というので日の丸が立っている。
その誇り、嬉しさ。
なるほど、民族意識、民族の誇り
というものがいかに大事かという事に気付いたのです。

石原:すごい体験ですね。

>>さて次回は、木内さんが国を代表する作家として
  選ばれた経緯とは…。お楽しみに。





2006 spring
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木内綾と優佳良織略歴

昭和37年「優佳良織工房」発足
昭和43年-開道百年記念式典にご来道の昭和天皇・皇后両陛下に献上
昭和45年優佳良織民芸館 開館
昭和48年「日本の美術展」招待出品(パリ市)
昭和51年ハンガリー国際織物ビエンナーレ招待出品/「日本工芸展」招待出品(スペイン・バルセロナ市)
昭和52年日本民芸公募展、最優秀賞/「日本伝統・現代工芸展」招待出品(ギリシャ・アテネ市)
昭和53年国際織物ビエンナーレ、金賞
昭和55年優佳良織工芸館 開館
昭和57年「優佳良織・木内綾展」(東京・大阪・九州)読売新聞社主催
昭和58年ニュージーランド・国立オークランド博物館主催「木内綾展」/奈良薬師寺に「旙」四流奉納
昭和61年国際染織美術館 開館
昭和62年日本現代工芸美術展招待出品、内閣総理大臣賞/北海道文化賞
平成元年通産省ふるさと再発見、通産大臣賞
平成3年雪の美術館 開館
平成7年文化庁長官賞
平成10年北海道功労賞
平成12年「優佳良織/木内綾作品展」朝日新聞社主催(東京・神戸・名古屋)

これまでの特集対談

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