第9回「普段は見向きもしないのに、もしかしてあれが、
と持ってきて入れてみると、ピタッと決まるのです。」
木内:そして仕事を始めてみて、
自分の力ではどうしようもない、
苦しい時の神頼みで、「お助け下さい」とお願いする時ってあるのです。
また出来上がった時には「神様ありがとうございます」と
織機のところに腰をかけたまま頭を下げて、
うれし涙というのか、
思わず涙ということがよくあるのです。
石原:それは神様ですか。
木内:自分の力だけではない、
神に助けられて作品ができるのだ、人間の力には限界がある、
という気持ちがだんだん強くなってきます。
機織を始めて20数年もたってくるとだんだんと、
鼻の角が折れてきます。
石原:現実に自分の何かを越えた表現、
越えた何かが出る時はあるのですか?
木内:出る時があるのではなくて、
どう考えてもでない時が多いのです。
もう癇癪ばかりおこしています。
どうにもこうにも治まらない、
そういう時はそこから離れてしまうのです。「もうやめた」と。
石原:完全に離れてしまうのですか。
木内:好きな道というのはダメなのですよ。
離れているつもりなのに、なんとかできないかな、
とまたやりだすのです。
今から20年程前、どうにもできなくて、
いつものように癇癪を起こしかけていたのです。
しかし、その時はこんなことを考えていました。
ここに何かを入れたら、ここにもう一本糸を入れたら決め手になるのに、
その色が浮かばない。
周辺に毛玉が転がっています。
フッと隅の方に転がっている毛玉が目に入る。
蹴飛ばしたか、放り投げたかした糸です。
あれはどうだろうと、手にとってみます。
それがお導きです。
普段は見向きもしないのに、
もしかしてあれが、と持ってきて入れてみると、
ピタッと決まるのです。
その一本を入れてみるとそれまで織ったものの色が全部調和して。
石原:その1本で。
木内:つまり楽譜でいうと、
ひとつのオタマジャクシが決め手になるように。
それと同じですね。
「アッ」という感じですよ。
どうしてあそこにあったのか。
そして今まで気づかなかったかと思うと不思議ですね。
いろいろな糸玉を作っては入れ、
ダメだとポーンと放り投げてはの繰り返しでしたから。
何時その糸玉を作ったかなんてことも、
もう覚えてもいなかったのです。
石原:その時、身も心も軽くなる、そんな感じですか?
木内:その時ですよ。「神様ありがとうございます」というのは。
自分の力ではないというか、
前に作った糸が、たまたまふと目を落とした場所にあって、
だから偶然みたいなものですよ。
その偶然を作ってくれたのは、神様しかない、
というふうに、人間はだんだんそういうふうに謙虚になっていくのですね。
それからです。機(はた)の前に座ると
「お願いします」というようになったのは。
石原:さっきのお話ですが、
創作というのは孤独に耐えらるものでないとだめでしょうね。
木内:私には孤独に耐えるという意識はないですね。
ただ夢中でしてしまうのです。時間が経つのも忘れて。
石原:その時その時で夢中。しかし何かにぶつかった時、
それはさっきおっしゃったように苦しいのでしょうね。
木内:そうですね。七転八倒です。
石原:どう織るよりも、やはり「色」ですか。
木内:色ですね。・・・やはり、
自分が考えている色はどんな色と聞かれても、
それは答えならない色です。
心の中に湧いている色というのがあるのですよね。
織っていて「これは違う」ということがはっきりわかります。
石原:織物というのは、下から順次に巻き込まれていくでしょう。
見えない部分、そこの色というのは
自分の中では明確にイメージされているのですか。
木内:そこの部分はひとつ決まると見えてくるのです。
石原:お若いときは相当なお転婆?
木内:え?いいえ。
あちこち飛び回るというよりも、
本を読むことに熱中していました。
親によく「目が悪くなるからやめなさい」と怒られて。
押入れの中で読んでいました。
石原:細かなお仕事ですが、目のほうは?
木内:本を読んだり、書いたりする時には老眼鏡をかけています。
でも織物をする時は眼鏡は使いませんね。
かけなくても織物する時はちゃんと見えるのですよ。
石原:棟方志功さんはお親しかったそうですが、
あの方は板に思いっきり目を近づけて彫られますよね。
大きなものを作るときにそこだけしか見えてないはずなのに・・・
あれで全部が見えているんでしょうか。
木内:あの方はほんとうに目がお悪くて、
だからあのように彫られるんでしょうが、心眼でしょうね。
頭の中の構図の通り、それのどこの部分を彫っている。
あの方の手は神の手ですから。
お手紙をよくいただきましたが、
紙の端がよく見えないのか、字がはみ出していて、
判じて読まなければわからない時もありました。
先生のお手紙は私の宝物です。
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〔棟方志功 筆〕
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石原:では最後に・・・恒例の質問をさせていただきます。
・・・・・人生とは?
木内:人生とは・・・なんでしょう。
人生とは何なのでしょうね。
私の人生は何も考えないで機織りだけをしてきたように思います。
杉村春子さんとは昭和42年にお見えになって以来のお友達で、
随分いろいろなお話もしたのですが、
杉村さんから頂いたお手紙に書かれていた言葉があります。
「だれが選んだのでもない。自分で選んで、歩き始めた道ですもの」。
人生とはそういうものではないのでしょうか。
知らないうちに自分で歩いているのですよ。
石原:そうですか。自分で歩いている道・・・。
今日は1時間半ほどのお約束を大幅に越えて、
長時間ありがとうございました。
木内:ほんとに長く。でも楽しかったですよ・・・。
>>いかがでしたか?この対談は2004年の6月に行われたものです。
次回は、ちょっと番外編です。優佳良織の作業手順をご紹介します。
お楽しみに。
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2006 spring
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木内綾と優佳良織略歴
昭和37年「優佳良織工房」発足
昭和43年-開道百年記念式典にご来道の昭和天皇・皇后両陛下に献上
昭和45年優佳良織民芸館 開館
昭和48年「日本の美術展」招待出品(パリ市)
昭和51年ハンガリー国際織物ビエンナーレ招待出品/「日本工芸展」招待出品(スペイン・バルセロナ市)
昭和52年日本民芸公募展、最優秀賞/「日本伝統・現代工芸展」招待出品(ギリシャ・アテネ市)
昭和53年国際織物ビエンナーレ、金賞
昭和55年優佳良織工芸館 開館
昭和57年「優佳良織・木内綾展」(東京・大阪・九州)読売新聞社主催
昭和58年ニュージーランド・国立オークランド博物館主催「木内綾展」/奈良薬師寺に「旙」四流奉納
昭和61年国際染織美術館 開館
昭和62年日本現代工芸美術展招待出品、内閣総理大臣賞/北海道文化賞
平成元年通産省ふるさと再発見、通産大臣賞
平成3年雪の美術館 開館
平成7年文化庁長官賞
平成10年北海道功労賞
平成12年「優佳良織/木内綾作品展」朝日新聞社主催(東京・神戸・名古屋)
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