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第9回「つまり人間性が一番面白い。」 石原:ヨーロッパは多数の国の集まりでもあって 「戦国」のように、自国の力を蓄積しなければならない中で、 宗教もまた作用したのでしょうか? 栗野:たぶん宗教改革や市民革命以降、 プロテスタンディズムと民主主義と大量生産、 大量消費社会というものはかなり共通項が多くて、 そうなって行ったんだと思いますよ。 石原:なるほど。 栗野:カソリックの国ほど、一方で享楽的な文化が強いですよね。 スペインとかイタリアとか… いわゆるラテン系といわれるところです。 石原:たしかに…。 栗野:プロテスタントというのは近世以降に生まれたものだし、 ですからある種「ミニマリズム」というか 装飾性を排除して「勤勉をよし」とした文化が生まれ、 それはまた大量生産、大量消費社会に 実にぴったりあったと思います。 宗教ということでは、カソリックという“ブランド”は リサイクル的にちょっとしんどいでしょうが、 プロテスタントという“ブランド”は 結構長持ちしていると言えるんでしょうね。 もっとオルタナティブなモスレムやブディズムというのは、 “ブランド”としてはもっと長持ちしていますよね。 “長持ち”の理由は違いますが…。 石原:はぁ…。 栗野:近代化された社会を 100%良い社会と思っている人間にとっては、 理解しがたい理由ですが。実際の宗教の勢力図を見ると、 減っていっているのはキリスト教で、 増えているのはモスレムですよね。 ということは、 それはやはり人の根元部分に フィットするものがあるのでしょうね。 石原:〈自我〉を確立しようとすると自分が中心となり、 いつでも他者との緊張関係になるでしょうからね。 栗野:ですから〈近代的自我〉というのは、 すごく無理するロジックですよね。 そういうのと違って、 「ただあるがままにあって、世界は経糸の1本にすぎない」 というようなことを、 今多くの人々が自覚しつつあるのではないでしょうか。 石原:それは「Everybody loves somebody」に つながることですか? 栗野:ええ、僕自身はそうですよ。 石原:気分としては「俺、オレ、オレ…」を もう少しリラックスして、 ヒューマニズムを大事にする…。 栗野:つまり人間性が一番面白い。 「人間性」が一番大切だという。 そもそも、ものを作るとその作ったものに、 その人間性があらわれる、ということを 痛烈に感じちゃいましたね。 志が高い人が作った服は「志」が高い形をしているし…。 先程の王立アカデミーは、 去年たまたま3人の日本人の卒業生がいたのですが… 彼らの作品は正直言っていまひとつでした。 ある程度、点数的な評価はでたけれども、 深みが全然ないんですよ。 何のために服をやっているのか… その子が4年かかって「自分と世界を結ぶものの1つが服」ということが、 伝わってこなかったですね。 服が好き、とか業界人になりたいとしか思えないんですよ。 石原:でも一応卒業はできた? 栗野:ええ、まぁ成績自体は悪くなかったんで。 ただ成績がいいということと、 人間性がどうとか人間的な深みがどうとかは、 必ずしも最後まで一緒じゃないですよね。 作るものには反映するけれど。 石原:その意味でしょっちゅうヨーロッパに行ってらして、 その深さ、ヨーロッパ人のすごさというものを いろいろ感じられますか? 栗野:感じますけれど… 同時にまたどんどん嫌いにもなります。 キリスト教的価値観がベースになっているし。 ただ、アントワープはジューイッシュタウンもあって、 学部長はアンチキリスト教で、 そういうヨーロッパ的世界観から 多少インディペンデントになっているのが、すごく面白いのですが。 石原:はぁ…。 >>次回は栗野氏の好きな音楽や映画が語られます。 お楽しみに。
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