第2回 小菅正夫/旭山動物園園長
インタビュアー/石原嘉孝/オクノ社長
一生こんなに勉強することはない
だろうなと思いました。でもそう
じゃなかったですね。
石原:北大には「理類」で入学なさったのでしょう。
やはり園長はその頃から少し変り種ではなかったですか。
だって獣医学部なんて理類の中でも
“ハズレ”の方の存在でしたでしょう?
小菅:“ハズレ”も“ハズレ。・・・・でもねぇ、
私の頃は上がり始めたんですよ。(笑)
私の友人は獣医学部希望でしたが落ちましたからね。
でもまあ、獣医というのは不人気の学部だったですよね。
石原:もともと獣医を目指してきた人は別として、
あとは「行くところがないんで獣医学部」という。
小菅:私もまあそんなクチでしたよ。(笑)
私はもともと何になろうと思って北大に入ったわけではないですから。
高校では勉強はそっちのけで、柔道、レスリング、ラグビー、
たまに応援団もやってたんですよ。
でも、中学時代からやっていた柔道で強くなりたいと思い、
たまたま北大の柔道部を紹介されて、
そこに出かけて稽古をつけてもらってました。
その頃の北大の柔道場は古い汚いところでね。
そこで毎日クタクタになるまで練習してました。
卒業近くになって、担任の先生に、「北大に行きたい」と言ったら
「入れると思うのか」と笑われました。「何しに行きたいんだ」
「いや…柔道やりたいんです」と言ったらもう相手にもしてくれませんでしたよ。(笑)
勉強が嫌いでねぇ…。浪人中も柔道ばかりやってました。
1年間浪人すれば入れるだろうと思っていたんですが落ちて、
親父に必死に「もう一年」と。お袋も一緒になって頼んでくれましてね。
だから2浪目はさすが本気になって勉強しました。
石原:私も1年浪人しましたが、
あれほど勉強したことがないというほど勉強しました。
小菅:私も2浪して大学に入った時、
もう一生こんなに勉強することはないだろうなと思いました。
でもそうじゃなかったですね。
石原:またどこで勉強しましたか?
小菅:大学を卒業の時です。4年間は柔道、柔道、柔道です。
4年生の7月に「七帝戦(旧七帝国大学が毎年行う定期戦)」があって、
それが終わった時、頭の中が完全に空白になってしまったのですよ。
それで1人で四国のあちこちを当てもなくフラフラと。
ある時、ハッと、「学校に行かなきゃ」と我に返り、
急いで札幌に戻ったんです。
みんなは「アイツは留年だよ」と思ってたんですね。
単位不足はもちろん、授業も出席していないので、受験資格もない状態です。
で、3年生と一緒になって、そこから必死にやり直しです。
出席していない講義の先生のところに行くと、「君卒業するんだって?」
「受講時間の不足はどうにもならんよ」と言われました。
「そこをなんとか…」と頼み込んで、研究室で夜に血液の標本を顕微鏡でのぞいている先生の隣に座らせてもらって、
それを出席日数に入れてもらったりしました。
それで12月頃どうやら卒業のメドは立ったのですが、
それから更に3月初めの獣医師の国家資格試験ですよ。
まったくゼロからの勉強です。
これはもう大学入試勉強以上の猛勉強だったですね。
寮にいても周りがうるさくて勉強できないので、
柔道部の同期の下宿に行って、その本人を部屋から追い出して、
そこで勉強しました。(笑) それで卒業したときは、
俺もこれ以上勉強することは一生ないだろうな、と思ったのです。
石原:それは、それは・・・。
>>「君、その程度の気持で動物園をやろうとしても
無理だ。辞めて他の仕事探したら。」ですよね。
大げさでなく、それがほぼ毎日ですよ。
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2008 summer |
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