第7回 小菅正夫/旭山動物園園長
   インタビュアー/石原嘉孝/オクノ社長


菅原市長って面白い人ですね。
「どうぞ・・」とただ一言いったまま黙って聴いているんですよ。


石原:周りの反対を押し切って、動物園に新たな予算づけをしたのは、
菅原前市長であったと、ある方からお聞きしましたが。

小菅:菅原市長が当選されたのは1994年11月です。
その翌年3月に、菅野前動物園長が定年退職され、僕が後任になりました。
46才の時です。多くの人は「絶対にアイツが園長になるわけがない」と思っていたようです。
僕は昔から「動物園はこうでなければならない」とか生意気なことを喋ってましたからね。
ところが、どなたが推薦なさったのかは分かりませんが、
私が次の園長になったんですよ。みんながビックリしてましてね〜。

石原:園長になられた当時、旭山動物園はドン底時代ですよね。
動物達が貧粗なオリ等の中に飼われていて、
古ぼけた遊具が幾つかあるといった印象でした。
飼っていたローランドゴリラにエキノコックス症が見つかり大騒ぎで、
「動物園なんかやめてしまえ」の意見が一層増幅していたかと思いますが。

小菅:私が園長になってしばらくしてからのことです。
突然「動物園の話を」と市長室に呼ばれましてね。
市長は秘書の方も退席させて、私と全く二人だけで話をしました。
「動物園の話をしにまいりました」と申し上げたんです。
そしたら、菅原市長って面白い人ですね。
「どうぞ…」とただ一言いったまま黙って聴いているんですよ。
「旭川の動物園を、単に動物のいる遊園地と考えたらその存在は実につまらない。
動物園というのは、人類が3000年ほど前、
生活に少しゆとりが出てきた頃にその歴史が始まります。
何故そんな頃に動物園があったと思われますか?」と質問したんです。
でも、市長は絶対何も言わないんです。
ただ黙って聴いているんです。
「これは当時の人々にも必要だったからです」
「もし必要でなかったら、こういったものはどこかで消えています。
何故消滅することなく今まで続いて来たのか。
・・・それは、必要だったからです。」

石原:………。

小菅:「何故必要なのか。これは人の生き方と必然的に結びついているからです。
人は人とだけしか接していなければ、おかしくなってしまいます。
それを正常に戻すために、高いところに登って遠くを見、
水平線を見るというようなことをして、気持ちをスッキリさせました。
同様に動物達と一緒の空間にいることが人間には絶対必要だったんです。
我々はそういう歴史の上にあって『人』に進化してきたからです。
それを見失っては動物園の本当の意味はわかりません。
ですから36万都市旭川市民は、動物園が立派にあることによって、
豊かな生活が保証されるのです。」とそんな話をしました。
それから、動物園はどういうことをやるべきか、
ということを私は話し続けました。
その間、市長は飽きもせず、何も喋らずに、黙って聴いていました。
たまに秘書が来て小さなメモ紙を置くんです。
それにウンウンと言うだけで聴いているのです。
僕は時計も持っていませんでしたので、延々と語っていました。

石原:………。

小菅:私の話がある区切りに来たとき、市長が初めて口を開き
「園長が、旭山動物園のことを本当に真剣に考えていてくれたことが充分わかりました。ありがとうございました。」と言ってくれました。
そして私が市長室を辞して時計を見たら2時間を過ぎていました。

石原:はあ……。

小菅:その年の市の予算要求の時に、
これまで門前払いだった動物園の「予算ヒアリング」が実現しました。
しかもなんと「市長ヒアリング」まで行ったんですよ。
そして『子ども牧場』の計画に1億円の予算をつけてもらったんです。
あの時は本当に嬉しかったですねぇ。

石原:さぞかしですね。




ゴミの量は入園者数に比例します。


「オジサン!水鉄砲で何やってんの?」 「仕事!、仕事!!」



そしたら市長が二ャッとお笑いになって
「なに言ってんの小菅さん。まあ・・・・・」


小菅:後年、もう市長をお辞めになるちょっと前のことですが、
ある座談会の席で、私は市長に「どうしてあの時動物園に予算をつけてくれたのですか?」とお聞きしたんです。
そしたら「いや、僕は全然憶えてないなぁ」と答えられました。
私は政治家はスゴいと思いましたねぇ。
ともかく前しか見てないですよ。過去のことは全く憶えてない。
「これはやる。」と瞬間的判断です。
僕にはない直感力、動物的カンですよね。
でもその座談会の後の方で、市長は「園長ね〜、僕はねぇ、やって良かったんだよ〜。」とおっしゃっておられましたからねぇ。

石原:菅原市長は不思議なカンを持っておられる方ですよね。
普段のお顔つきは何かツラっとしたところがあって、
「何を言われても平気」みたいにですしね。

小菅:かなり後になって私が聞いたことです。
市役所全体では、「動物園は『子ども牧場』『もうじゅう館』『さる山』も次々作った。これ以上やってもお客は来ないよ。」と次の計画には猛反対の空気になっていたそうです。
その年の予算確定の場でも、助役や財政部長、幹部の方々の意見は、
圧倒的に「反対」だったようです。
その時、菅原市長が立ち上がって、
「私は市民から負託を受けた市長である。これはそもそも私の公約なんだよ。
だから、反対することではなく、
私の政策を実行するために君たちはいるんだ。」と押し切ったそうです。

石原:それは大したものですね。

小菅:それからずっと後のことですが、ある時、市長に聴いたんですよ。
「よくあんな決断をしていただけましたね。
僕らは失敗してもバカだといわれるだけで首にはなりません。
でも市長は失敗したら、選挙で負けて職を失いますよね。
本当にスゴい判断をしていただいて」と。
そしたら市長がニヤッとお笑いになって「なに言ってんの小菅さん。
まあ、俺の金じゃないんだよ…。」って言ったんですよ。

石原:ワッハッハッハハ。…。いや本当に菅原市長らしい…。

小菅:面白いですよね…。

石原:冗談っぽく言ったのは、
園長がその面白さを理解する人だと感じたからでしょうね。

小菅:ともかく私は菅原市長のご決断には心より感謝しております。









>>それが、いざ畳の上に立った瞬間、まさにその瞬間、スーッと全身から圧迫感が抜けたんですよ。



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