第1回 西川将人/旭川市長
   インタビュアー/石原嘉孝/オクノ社長


レスリングは69 Kg級でした。

石原:市長は本当にお若いですね。お生まれは何年ですか?

西川:1968年(昭和43年)です。旭川市の神楽生まれです。
物心ついた時は永山に住んでいましたが…。
それで永山小、永山中と進みました。高校は東高です。

石原:旭川東高は優秀校ですね。…大学は?

西川:北大工学部です。理類U(化学)で入学しました。

石原:ご家族は?

西川:妻と二人暮らしです。

石原:市長は、首が太く筋肉質ですが、
高校では何かクラブ活動をやっておられましたか?

西川:レスリング部に入りました。私の頃はあまり強くなかったのですが、
先輩には全日本高校チャンピオンを取った人なんかいて、
結構伝統のあるクラブでした。

石原:高校のレスリング部と言えば、
当時北海道ではあまり無かったでしょうから、
全道大会なんかにはすぐ行けたのではないですか?
        
西川:まさしくそのように 入学した時に勧誘を受けました。
確かに私も“約束どおり”全道大会に出ることができましたよ。

石原:僕は大阪の三国丘高校のサッカー部なんですが、
日本サッカー協会の川渕キャプテンが先輩です。
彼も勧誘の殺し文句が
「今入ったら西日本大会で四国へ行けるよ」だったそうです。
その人が日本のサッカーをプロ化させたのですから、まぁ、
そういう甘い言葉もまんざらではないですよね。

西川:私は、69kg級でやりました。
それ以下のクラスには強い人がたくさんいましたが、
69kg級くらいになると選手層はかなり薄くなるのです。
お陰で私も全道でベスト8までは行けましたよ。


翼内の燃料タンクはいくつもあって、
付け根の方から順に使っていくのですよ。


石原:パイロットをなさってたそうですね。
何年間くらい飛行機に乗っておられたのですか?

西川:日本航空にパイロット訓練生として入社して、 7年間です。
日航内の訓練所で3年半訓練を受け、パイロットのライセンスを取りました。
その後、副操縦士としてお客様を乗せて飛んでいたのが3年半です。

石原:機長はなさらなかったのですか?

西川:機長は相当の経験を積んでからでなければなれません。
今の私の年令の40才くらいになってやっと、
2年間ほどのキャプテンの訓練を受けられるのです。
1万時間くらい乗らないとキャプテンになることはできません。
私の同期が最近ポツポツとキャプテンになってきています。
キャプテンになって、その後約20年ぐらいやります。

石原:国内線、国際線どちらをなさったのですか?

西川:機種によって飛ぶところが違うんです。
私は、ラッキーでしたが、ジャンボ〈ボーイング747〉に配属されたので、
ヨーロッパ路線を中心に飛んでいました。

石原:小型機と違ってジャンボのコックピットには随分たくさんの計器があって、そのチェックは大変なものなんでしょうね。

西川:いえ、200人と500人乗りくらいですとそんなに違いませんね。
目の前にあるナビゲーションの計器数はどんな飛行機にもありますよね。
私の乗っていた飛行機は、エンジンが4基ですから、
その計器は4系統あります。
200人乗りではエンジンは2基で、その計器は2系統です。
だからパッと見た目には、ジャンボの計器はすごく多く見えますが、
同種のものが並んでいます。
どの機でも同じ所をチェックしますのから、
結果としてはそれほど変わりません。

石原:飛行機は翼と胴体の接合部、つまり翼の付け根のところに、
ものすごく力がかかりますよね。
琵琶湖の人力飛行機大会を見ていると、
飛び出した直後にその付け根がポキンと折れて、
飛行距離は0メートルなんていうのがよく出てきますが…。

西川:翼の重量計算はすごいものです。
その一つとして、翼の中にも燃料タンクが入っています。
胴体部分の燃料タンクを先に使い、
翼の燃料タンクは一番最後まで使わないものです。
そのように燃料の重さを利用して、
翼の付け根に対する重量負担を軽減します。
しかも翼内の燃料タンクはいくつもあって、
付け根の方から順に使っていくのですよ。

石原:それらは自動制御なんですか?

西川:私の乗っていた飛行機では、機関士がいて、
彼が計器を見ながら、どのタンクを使うかをコントロールしていました。
最近のは二人乗りで航空機関士がいません。
自動制御になってきているようです。

石原:欧州へ十数時間のフライト中眠くならないものですか?

西川:仮眠をします。今の2人乗り機だと、機長2人に副操縦士2人ですから、
交代して寝ることができます。
私の場合は3人乗りで機長2人、副操縦士1人、機関士2人の5人体制でした。
どの機でも機長は代われるように2人いるんです。

石原:操縦中、2人とも眠くなることはないですか?
飛行機の操縦席から外を見ていても、景色はほとんど変わりませんよね?

西川:変わりませんね。でも、ヨーロッパに行く時は、
地上の管制官と5分おき位に連絡を取り合います。
アメリカの場合、太平洋上では、10分から15分間隔くらいです。
でも常に交信している状態で飛んでますから眠くなる間がありません。

石原:ところでなぜパイロットに…?

西川:空を飛んでみたいと小学校の頃からずっと考えていました。
その頃の希望は、パイロットか政治家か自衛官になるというものでした。
高卒のとき、自衛官を目指して防衛大学も受け、合格したんですよ。
戦闘機のパイロットにと思って。
でも、防大を出ても実際に戦闘機に乗れる人は
数%しかいないとわかったんです。
「適性の問題なので乗れるかどうかわかりませんよ」と言われて、
入学は辞退しました。

石原:防大の受験は倍率がすごいんじゃないですか?

西川:それは一般の大学が2月〜3月ですが、
防大の試験は前年の十一月頃だからです。
試しに受けてみようという人がけっこういますからね。
受かっても、辞退する人も多いようです。

石原:飛行機乗りが夢にしては、
大学入試は物理ではなく化学で受けたとか…?

西川:まぁ、それはたまたま物理よりは
化学の方が点数を取りやすいと思っただけで…。
でも理数系は得意でしたよ。
原理の部分をしっかり理解できると、
その応用や組立みたいなものですからね。
文系はそうはいきませんよね…。








>>私が最初に門をたたいたのは小沢一郎さんです。



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