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第2回 衆議院議員/鈴木宗男
   インタビュアー/石原嘉孝/オクノ社長


そのとき中川先生に「たまには遊びに来いよ」
なんて 言っていただきましてねぇ。


鈴木: 3月ももうギリギリの時期の受験ですから、
もちろん私は北海道に戻ることもなく、発表まで東京にそのまま残っておりましてねぇ。

石原:ハァハァ、そのままね。

鈴木: そしたら合格通知です。
で、そのまま大学に行くことになるのですが、
さて、その保証人がいなくて困っていたんですよ。

石原: ハア。

鈴木: そんな中で保証人になっていただいたのが中川一郎先生ですよ。

石原: 地元とはいえ国会議員の中川さんとお知り合いだったのですか。

鈴木: いえ、私の生まれたその大誉地という村に、
横田文冶さんという獣医さんがおりましてね、
この横田さんが中川先生の先輩でした。
農学校というのは先輩後輩の関係は強いですからね。
先輩の横田さんの言うことは中川先生も一も二もないですからね。
…この獣医さんと私の親父が知り合いだったのです。
で・・。そんな縁で中川先生に保証人になっていただいたんですよ。

石原: なるほど、なるほど。

鈴木: それで、私が急いで中川先生の事務所に伺ったら秘書の方もいなくて、たまたまお一人だったのです。
そしてその場ですぐに自筆で署名してくれましてね〜。

石原: ハァ…。

鈴木: 実は私もその後何人かの保証人になっておりますが、
そんな時は大体秘書が代筆します。
でもその時中川先生はご自分で書いてくださいました。
まぁ、その頃は中川先生は初当選の一年生議員でしたから、
きっとまだそんなに忙しくなかったんでしょうね。

石原: まだ…。

鈴木: えぇ まだそんなにね。若かったですしね。

石原: 中川先生はその頃おいくつだったんですか?

鈴木: 中川先生は38才で当選して、それがちょうど昭和38年でした。
私の入学が昭和41年だから……ということは中川先生は41才でしたねぇ。

石原: それにしても中川先生も大変特徴のある方でしたよねぇ〜。
「北海のヒグマ」といわれて、国会議員の中でも全国的によく知られている方でした。

鈴木: えぇえぇ……。まぁそんな縁でしたよ。
そのとき中川先生に「たまには遊びに来いよ」なんて言っていただきましてねぇ。

石原: ハァハァ

鈴木: 私もそれを真に受けてましてね…。
まぁ、私もあまり行くところもすることもなかったんで、
ちょくちょく先生の部屋に顔を出していましたよ。

石原: それはまさにここの議員会館ですよね。

鈴木: えぇ。 第一議員会館、そうこの建物です。
…720号室、そうあの720号室ですよ。……よく行きました…。

石原: ハァ

鈴木: 私は人間は出会いだと思っていますよ。
それぞれの人生の中で、そのポイント、ポイントで誰と出会うか。

石原: 出会うか…。

鈴木: それによって人はそれぞれ将来の道が開いていくのだと思います。

石原: えぇえぇ。

鈴木: ういった意味では大誉地に生まれたこと。
そして大誉地小学校、大誉地中学校…。

石原: ・・・。

鈴木: 小学校の時には湯川守という担任の先生もおられたし…。

石原: ・・・。

鈴木: 中学校の時には、さっき言った矢田浩という担任の先生や国語の藤原正義先生や、社会の宮川浩先生だとか、広沢章先生。
あるいは飯山力一先生なんてねぇ。

石原: ハァハァ

鈴木: もう本当に…私はいい先生に恵まれましてね。

石原: はぁ そうですか。

鈴木: 高校では坪谷昇先生、高橋良雄先生という野球部の部長をなさった方…、担任をしてくれた高橋勝先生とかですね。

石原: えぇえぇ、それにしてもすごい記憶力ですね。

鈴木: えぇ、私はやっぱり人に恵まれましたね。
その延長線上にあって、さらに幸いにも大学に行くこともできたし。

石原: ハァハァ。

鈴木: そして中川一郎先生に出会えた・・・。
本当に良い人たちとの出会いです。
いい友人たち、すばらしい同級生や同窓生。

石原: えぇえぇ…。

鈴木: また、松山千春というような非常に良い仲間…。

石原: えぇえぇ

鈴木: これは全部足寄の縁ですよ。

石原: えぇえぇ、なるほど…。

鈴木: このように私の人生は、次々と良い人との出会いであったとしみじみ感じますねぇ…。

石原: なるほど… えぇえぇ。





私が「権力の側」にいた時はやっぱり前しか見ていなかった、
ということです。


石原: ところでそのようにして、結果として考えた通り「政治の世界」にお進みになられて、いまや還暦を過ぎました。
来し方を振り返ればいかがでしたか?

鈴木: そう、私は思うのに、この政治の世界は権力闘争の本当に厳しい世界ですからねぇ。
還暦を過ぎてつくづく思います。

石原: ・・・・。

鈴木: 私の師匠である中川一郎先生も自ら生命を絶つぐらい厳しいのが政治の世界ですねぇ。

石原: ハァ ハイ。

鈴木: 私も今から7年前、あの呪わしいメディアパッシングに合いました。
・・・そして、なりふりかまわず権力が私をおとしめよう作動し、
各メディアによって「鈴木は悪いヤツ」と、
くる日もくる日も一斉放撃されました。
国策捜査・・・。何千回もその当時のことを振り返ってきましたが、
うかつにも「権力の罠」にはめられたといいますかねぇ。

石原: えぇ。

鈴木: まぁ天国と地獄を見ましたけれど…。

石原: えぇ。

鈴木: 今、つくづく考えるのは…。
人生は自分の計算どおり、自分の思った通りにはいかないものだということで・・・。

石原: えぇ、えぇ。

鈴木: しかし正直に生きていれば…。
お天道様が見ていてくれますからね…。

石原: ハァ

鈴木: 私は必ず理解してもらえる。
…また大きくカムバックもありえると思っています。

石原: えぇ

鈴木: だから今、私は若い人に強く訴えたいのですよ。
人生には失敗や挫折はついて廻るものだ。
だけど君は自分の人生をあきらめずになんとしても生きていくべきだ。
生きていけばどこかで逆転もある、とね。

石原: えぇ。

鈴木: そのためにはともかく正直に生きろ。

石原: えぇえぇ。

鈴木: 同時に、しっかりと自分の目的、目標を持て、と。

石原: ・・・。

鈴木: 最近の若者を見ていると、
なんとなく惰性で生きてる風潮があるけれども、
それは、「甘えの心」だと思います。
それぞれが自分の目的をもって、それに一歩でも近づく努力をすれば、
そこには必ずすばらしい明日があるんだという思いを、
昨今つくづく感じております。

石原: なるほど…。実はこの「オクノジャーナル」の編集発刊の目的もその辺にありまして、
これを読んだ人が「よしオレも目標を持ってがんばるんだ」と思っていただければと思っています。

鈴木: 私は昨年は38回、一昨年は40回、その前年も30回の講演をやりました。今年ももう既に20回くらいの講演をやっております。
そこで私は必ず言うのはねぇ。
「私もやっぱり天国と地獄を見てきた人間だ。その私は本当にギリギリの中で『負けてたまるか』と思って頑張ってきた。」とねぇ。

石原: ・・・・。

鈴木: 「私はいま生きていて、つくづく『命の尊さ』を味わっている。
みなさんのどなたかが本当に困った時、辛い時にはぜひ鈴木宗男を思い出し比較してみて下さい。
そうすればあなたたちの気持ちは楽になるのではないか」
というメッセージを発しているんですよ。

石原: そうですねぇ。
先生の状況を想像するだけでも恐ろしく身につまされますものねぇ。

鈴木: でもね。私も最近はあらためて反省というか、
思いも新たにしているのはですね・・。

石原: ハァ

鈴木: 私が「権力の側」にいた時はやっぱり前しか見ていなかった、ということです。
だから「鈴木宗男はギラついている」とか、「権力志向だ」とかの間違った評価を受けることになったのでしょう。

石原: えぇ…。

鈴木: でも今ではお陰さまでねぇ。
鈴木宗男は横も見れば後ろも見れるようになりました。
特に「声なき声」というものを大事にして、
弱い立場の人々のことも十分に考えられるようになっています。

石原: ハァ

鈴木: 私がそうなった昨今では今まで以上に鈴木宗男に対して期待し、
シンパシーを感じていただける方が本当に増えたと思います。

石原: えぇ

鈴木: そして私はまさしく今、この鈴木宗男でイイと思っているのです。

石原: たしかに私たちから見ても、
先生の「見え方」が違って来ましたよ。

鈴木: えぇ、だからそういった意味では、
私はあのつらい地獄の日々のことを本当に良い経験をしたのだ、
と思っているのです。
あの理不尽な私への攻撃も、いまでは前向きにとらえています。

石原: ハァ

鈴木: ですから私はこれからの活動の中で必ず結果を出してね。
人生をきちっと締めくくっていけるようにしたいと思っていますよ。







>>それがダメというのなら、自民党の議員はみんな捕 まりますよ。



 
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