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第3回 ホットマン創業者/田中富太郎
   インタビュアー/石原嘉孝/オクノ社長


そしたら通じましてね。
自分のサインをして受領書を置いて行きましたよ。


石原: ところで終戦の日の1945年の8月15日はどこで迎えられたんですか。

田中: 黄河の南方で河南省の詐冒という街にいた時でした。

石原: 敗戦後すぐに武装解除され、兵器の引き渡しをなさったんですか。

田中:いえ、それがね、北支軍は最後まで武装解除なしでした。 8月上旬には、ソ連軍が満州国境を越えて攻め込んでくるという情報が入り、 不意打ちを受けた北支軍司令部では急いで「対ソ連の戦略」を決めました。 それで我々の部隊も北の方へあわただしく移動中のことでした。
私達が武器を貨車に搭載して黄河の北側へ運ぼうとしていた時に終戦になりました。その日は何が起こったのかわからなかったですよ。 なにか様子がおかしいなと思いましたが…。米軍の飛行機が来ても何もしないし。

石原: それで結局その後はどうされたのですか?

田中: 我々はその前から北京に向け北上していたのです。でも鉄道はすでに壊されていたので、列車の前をレール点検しながら歩くしかなかったんですよ。 一日で北京まで行けるところを、夜襲などを受けながら1ヵ月程かかってやっと辿り着きました。我々は貨車に大砲を積んでおりましたから、 それを守りながらの徒歩行軍でしたよ。

石原: 敗戦後1ヵ月経ってもまだ大砲を持っていたんですか。

田中: ええ、兵器を持ったまま北京の入口、盧溝橋のそばの長辛店というところに駐留しました。

石原: その後日本に帰ってくるのはどのようなルートだったんですか。

田中: 青島(チンタオ)から11月25日に佐世保にです。 着いたら海兵隊の兵舎まで3kmほど歩かされ、そこで素っ裸、頭から足先までDDTで全身消毒されたんですよ。 ふんどしの中までね…。でも寒くないんですよ。北支の方がうんと寒かったですからね。何日かして列車で乗り継ぎを重ねて東京に戻りました。

石原: 結局武装解除は…。

田中: 中国を出る最後のときですよ…。

石原: じゃ、その頃としてはまことに運の良い状況でしたですね。

田中:本当に運の良い方でした。
北京に到着した後、私は司令部から派遣されて5人ばかりの兵隊を連れて、北京駅前の特別任務に行かされたんですよ。 日本軍の現地解散の部隊とか、帰国する民間人を収容する任務ですから1年以上はかかる仕事だと思っていました。 北京の駅前に小さな2階建ての建物がありましてね。憲兵隊や兵站の施設でしたが、負けてみんなそこを引き払った跡を私達が使ったんです。

石原: はあ。

田中: そこから我々は北京駅に様子を見に行くんですよ。
ところがねぇ、これが怖いんですよ。周りは中国人ばかりです。 駅だけではなく城壁の向こうにある司令部に行く時もうっかりすると石をぶつけられたりねぇ…。

石原: はあ。

田中: 我々はその建物の2階に寝泊まりしていたんですが、幾日か経った頃、北京に将介石軍が正式に入ってきました。 2、3日遅れて米軍も入って来ました。2階建ての建物はいかにも小さな何もない建物ですが、 その窓から彼らがぞくぞく進軍してくるのを見ていたら本当に気持ち悪く、怖かったですよ。

石原: はあはあ。

田中: そしたら案の定その翌日です。飯を食ってたらドカドカと階段を上がって来たのです。 我々は立ち上がる間もなく拳銃を突き付けられてホールドアップです。海兵隊の士官が2人でした。 明かに彼らは軍命令でなく個人行動で、軍刀やカメラや時計等の略奪目的です。 しかし我々は抵抗のしようもないですから、手真似と支那語と片言の英語で彼らの欲しいものを出してやったのですが。
でもまあなんとか通じるものですね。 「どうしても君らがこれを持っていくんなら受領書を書いていけ」といってねぇ。

石原: ハッハッハッハッ、受領書を書けとね…。

田中: そしたら通じましてね。自分のサインをして受領書を置いて行きましたよ。

石原: ハッハッハッハッ…。その米軍兵にサインさせましたか。ハッハッハッハッ…。

田中: そしてねぇ…翌日ねぇ、司令部に行って参謀長にそのことを報告したんですよ。こういうわけで兵器を持っていかれました、とね。


石原: こちらとしても証明書が必要だったんですね。

田中: そんな報告に行きましたらね、「どうだ、何もやられなかったか」と私達のケガやなんか心配してくれましてね。「いや、それはありません。」とね。

石原: ハッハッハッハッ。

田中: 「だけど兵器は取られました。」…「まあ、それはしょうがないわな。」…「これがその受領書です。」

石原: ハッハッハッハッハッ…。

田中: そしたら参謀長も笑われて…「よくもまあ、お前は…」とね。

石原: ハッハッハッハッ…。それにしてもその米軍兵も素直だったですね。

田中: いや、向こうもね。やっぱり怖いんですよ。それとね、お互いに別々の言葉ですがどうにか通じたんですよ。向こうは英語、こっちは支那語ですがね。

石原: ハッハッハッ…なんとか通じるものですか。

田中: それはなんとかね…(笑)
でもね、まともな名前なんか書いてないですよ。 よく読むと「第一艦隊ミッキーマウス」って書いてあるんですよ。

石原: ハッハッハッハッハッ…。

田中: だけど、それ以上はね。

石原: アッハッハッハッ。それ以上はですね。

田中: それはそうです。彼らは本当のことは書けませんわね。


>> 「日本をどうするのか」という気持ちです。それは強かったですよ。



 
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