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第9回 ホットマン創業者/田中富太郎
   インタビュアー/石原嘉孝/オクノ社長


この加工法を使ってカラータオルを作ればきっといける。

石原: タオルは織物としてはそれほど難しいものではないし、…とおっしゃられましたが、実際にタオルを専業となさってからはいろいろご苦労もあったかと思いますが…。

田中: いやぁ〜。まあ苦労といわれましてもね。
私と共にやってきた弟にも時々言ったんですけどね。「我々は本当にみんな楽しみながら、 真面目に一生懸命やってきた。このような我々の努力に期待して下さり、神はタオルという仕事を我々に残しておいてくれたんだ」とね。

石原: そういう感じがしますか〜。

田中: いやぁ、本当にね、タオルだからこそこういう展開が出来たのですよ。

石原: まだ開拓開発の余地がいろいろあったジャンルという意味ですか。

田中: 服地のような目まぐるしい変化がないですよね。他の繊維製品ではあまり例がありませんが、 タオルは良いものはくり返しお求めいただき継続していけます。他のものではこうはいかなかったと思います。

石原: タオルの生産地でない青梅でお始めになったわけですから何もかも手探りという状態だったのでは…?

田中: 1947年に織物を再スタートしたあと、私はいつも何もかも独力でやらなければならないことばかりでした。 ですからタオルは未知のものだから、これはというような考えは別にありませんでした。
それよりも例えばシャーリングという技術ですね。六本木に店を出して一年後に大評判を取った例の24色のカラータオルは、 シャーリング加工を日本で初めて本格的にタオルに使ったものなのです。

石原: シャーリングとはどういうことですか?

田中: これです。(といってシャーリングのタオルを取り出して見せてくれる)
タオルはタテ糸をループ状にして織っていきます。引っ張られたタテ糸をある長さで押し戻すとリング状になりますよね。 これをテリーモーションといいます。テリーは“縮む”という意味ですが、このループが布の表面を覆うように織り上げてタオルが出来るわけです。

石原: なるほど…。

田中: シャーリングというのは、このように織り上げられてループになっている先端部分をカットする技術ですよ。

石原: ループの先端を切ってしまうと糸が抜け落ちてしまうのではありませんか?

田中: もちろん糸が抜けないように織り上げなければならないんですが…。このシャーリング加工は従来のタオル屋さんではやったことのない方法だったと思いますよ。
ほら、この普通のループのタオルとシャーリングしたタオルとでは表面の美しさが全然違うでしょう。

石原: たしかに…。表面のデコボコ感が全くありませんね。

田中: それとこうやって比べてみると一目瞭然ですが、シャーリング加工をすると発色が鮮やかでキレイな色が出ますよね。
これはね、ウチが前から婦人服地をやっていたから考え易かったと思います。 ビロード(ベルベット)を作る時の加工技術に近いですから。

石原: あ、そうか。なるほどねぇ…。

田中: この加工法を使ってカラータオルを作ればきっといける、と考えたのはその時の私のカンです。もう40年ほど前のことですが…。
婦人服地をやっていたことは、ですからその技術的なことだけではなくて、 このような品ならきっと女性に喜んでもらえるという感性についても自然と身についていたんだと思います。

石原: はぁ…。

田中: 本当にその時は自信がありましたよ。店の方では「自社製品を早く」と矢の催促でしたが「待ってろ…必ずどこにも負けないタオルを作り上げるから」とね。

石原: 新商品はウケました…。

田中: それはもう…。出したら大評判でしてねぇ。業界誌はもちろん、いろんな雑誌やメディアも次から次と取材がありましてねぇ。 本当に2年間くらいは毎月必ずどこかに記事が載っていましたよ。
そのように24色のシャーリングタオルが大歓迎してもらっている間に、輸入品に代わるウチの商品を次々に出していこうよとみんなで頑張ったんですよ。

石原: はあ。

田中: そうして作ったウチの新しい商品は輸入品と比べて安いわけではないのですが、ウチの方が売れていくんですよ。私が見ていて、まだ輸入品の方が少し良いかなと思っていたんですがねぇ…。 でもお客様はウチのを買っていってくれるんですよ。
そんな風に、ありがたいことに、ずい分お客様に支えられてスタート出来たんですよ。


私の創業以来のモットーは
「本物作りに徹し、創造を重ねること」でした。
それには有形のものと無形のものが必要ですが。


石原: ところで近年のアジア製品の輸入激増の影響は、御社にはどのようなものだったのでしょうか。

田中: 日本はタオルについては20年ほど前までは“輸出国”だったんです。それが十数年前から“輸入国”になり、今では輸入品が85%にもなっています。

石原: その影響はホットマンとしてはどの程度ありましたか。

田中: まあ、私はほとんどなかったと思っています。

石原: 今治や泉州に行って、輸入攻勢を必死に耐え忍んできたことを肌で感じてきました。日本で唯一青梅市のホットマンだけは無関係でおられたんですか。

田中: もちろん我々も間接的影響は受けましたよ。でも直接的にはアジアからの輸入品とは競合する商品はほとんどありませんからね…。

石原: 御社が常に掛けてきたことはどんなことでしょうか。

田中: 私の創業以来のモットーは「本物作りに徹し、創造を重ねること」でした。それには有形のものと無形のものが必要ですが。

石原: 有形のものとは例えばどういうものですか。

田中: 私は「染色」が織物の重要な土台だったと思って、早くに日本で最初の「パッケージ染色」の機械を導入しました。 その技術と機械がウチにはありましたから、前にお話ししたシャーリングの24色のタオルも作る前から売れるという自信があったのです。 その美しい仕上がりはこの染色機械と技術があってのものでしたから…。

石原: なるほど。

田中: その他、将来の無人の織物工場づくりのために不可欠だと思ってアップツイスターという撚糸機を設置しました。 これはものすごく高額で、採算性を超えるものですが、これによって本当にキレイな自信を持ったタオルができるんですよね。その他…タオルは「乾燥」の工程が大事なんですよね。

石原: あっ、それは今治の吉井社長も力説していました。手間はかかっても綿そのものを生かす自然な乾燥こそ大事なのだと…。

田中: ウチでは日本製から外国製の機械まで今まで何種類も設置して、何年もかけ研究を重ねてきました。その結果としては「タンブラー乾燥」が最高なんですね。 巨大な丸いタンブラーの中にタオル地を入れて乾燥させるのですが、この作業は肉体労働であると共にものすごく気を使い、熟練していなければなりません。 長い連続するタオル生地を水洗いして、それを乾燥させる機械ですから、そばにいるだけでものすごく熱いんですよね。 それと乾燥中にシワになると絶対にあとでは取れませんから細心の注意が必要です。
晴れた日と雨の日、冬と夏でも湿度が全く違いますから、それも頭や身体で判断しなければなりません。 そんなに複雑な上に、労力と時間とコストがものすごくかかりますが、風合いはこのタンブラー乾燥が最高なのですよ。

石原: 池内タオルの社長が正方形のハンドタオルを私に見せながら「タオルの正方形って難しいんだよ。 だって、ちょっとでも縮んだらこの形が崩れますからね。」と言っておられて、 なるほどと思いましたが乾燥の段階までまさしく創造や工夫の結晶なのですねぇ…。 それをHotmanはこの東京とはいってもかなりの山の中、青梅市で全く独力で世界中に先駆けて開発されて来たのですね〜。

田中: ですからウチが中国やなんかの輸入品に直接の打撃を受けたとは思っていません。1990年をピークに売り上げは漸減してきてしまいましたけれどそれは別の原因です。

石原: はあ。

田中: 私はこれは無形の力、心構えの問題だと思っています。ホットマンの原点はもの作りです。 店頭重視といいながら具体的な実行力がなく、製造の現場と距離ができてしまいました。 無理な計画や企画、更に責任意識の欠如、惰性的な運営となっても危機感がない状態こそ危機である、それが業績低下の原因だと私は思っておりました。

石原: 泉州や今治では、Hotmanの田中富太郎会長が師であり、超えるべき目標だと言っておられました。

田中: 実はウチはある時から「常に自己を厳しく見つめ挑戦を重ねる」という社風が消えてしまいました。 10年ほど前には営業と供給の断絶などが深刻になり、経営が浮き上がり、財務も逼迫して企業在続の危機に陥りました。 永年実務から遠ざかっていた私もやむなく現場復帰して、根元から見直しを行い、最近ようやく前向きに取組める体制ができてきたところです。 今は更に再構築を大胆に進めていく真最中です。

>>私の顔をみますとね、 「私らはお宅のマネを徹底的にしますからね。」とハッキリ言われますよ。



 
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