石原 |
日本の匠の技とヨーロッパのエンジニアリングを合体したものを作ろうと決意して帰国されたのですが、さて、戻られての取りあえずはどうなさったのですか。
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長原 |
松倉先生が「研修生としてドイツに行ってきたのだから公務員として業界指導をしろ」と工芸指導所の指導員の席を作っていてくれました。先生はわかっていらして「どうせお前はカルチャーショックに浸っているのだから、少し役人でもやって頭を冷やせ」とね。「指導員」という肩書きをもらっているので、私は一生懸命業界に行ってはバタ臭い話を盛んにするわけですよ。そうすると大部分の人は「ヨーロッパ帰りの若造が何を」と思いますよね。それでも一部にはちゃんと聞いてくれた人がいましたが。
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石原 |
でしょうね…。
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長原 |
1年半やってみた結果、「公務員の世界で、学歴のないものが自分の意志を通した仕事をできることはあり得ない」とわかってきました。どんなに頑張っても松倉先生の立場、市の全体組織でいえば課長職までで、それ以上には絶対になれないという…。それがわかったのでここは長くいる場所ではないと思い、私は独立の準備を始めたのです。
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石原 |
いよいよですね。
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長原 |
デザイン事務所で食べていける自信も見通しもないので、まずは小物作りをするクラフト工芸の工房をやろうと考えました。するとそんな私の動きを知って、「お前が本当に独立するなら俺たちが支援するぞ」という人達が、オレは100万出すぞ、50万出すぞと数人で400万円用意してくれたのです。今の額でいえば4千万位にはなります。私もそれだけのお金は魅力がありますし、心の中では「自分の技術とドイツのシステムを統合すれば日本一になれる」という思いがあるわけですよ。
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石原 |
はあ。
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長原 |
こういう時は兄姉が多いというのはありがたいもので、私は駆け回って何とか100万円を用意してもらい、合わせて500万円で会社を作りました。それが「株式会社インテリアセンター」です。ところが僕もドジで公務員法の規定を知らずに工芸指導所に籍を置きながら、自分が代表者の法人登記をしちゃったのですよ。それが見つかってしまって、「お前は懲戒免職だ」と怒られたのですが、これも松倉先生がなんとか取りなしてくれて「懲戒」だけで免れました。
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石原 |
はあ…。
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長原 |
しかし会社を作ってすぐに現実を知ることになります。銀行に行っても貸してくれないし、木材も売ってくれないしで、財力のない私が代表ではダメだということが分かったのです。何の資産も持っていませんでしたからね。そこで一番大口出資者の末永さんという方に社長になっていただいて、私は専務で10年やりました。もう1人大口出資者の臼杵さんという方にも、その後一時社長をお願いしました。おふたりとも家具の製造や塗装の会社の経営をなさっておられる方でしたよ。
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石原 |
この方々は「ドイツ帰りの若造」を認めてくれていたのですね。
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長原 |
「言ってることは面白い、お前が本当にやる気があるのなら出資をしてもいいぞ」と思ってくれたのです。臼杵さんは塗装業ですから家具の塗装を引き受けてメリットがある関係でしたが、末永さんは自らも家具の製造業で、むしろ競争相手がひとつ増えることになり全く利益がありませんでした。その末永さんにまず社長をお願いしたところ、「私でお役に立つならば…」と快く引き受けてくれました。しかも末永さんは会社がスタートした時から、専務である私に「君の思うようにやれ」と会社の代表印を預けてくれたのです。
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石原 |
それは度胸のいる話しですね。
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長原 |
最初から木材の買い付けに手形も切り、「代表取締役末永与吉郎」の判を私が押しているわけですからね。どれだけ損を出すかもしれないし、不渡り手形を出すかもしれない若造の私に代表印を預けるということは大変な度量です。その頃で60歳くらいになっておられました。小柄ですが太っ腹の人でしたねぇ…。本当に恩人です。ご夫婦共お亡くなりになっておられますが盆暮れにはずっとお線香を上げに伺っております。
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石原 |
創業の時はスタッフ12人だったと聞いていますが、この12人はいわば同志のような若者達でしたか?
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長原 |
単なる寄せ集めです。職業安定所や、旭川と北見の職業訓練校に金の卵を探しに行きました。みんな卵で、孵化するだいぶ前です(笑)。ほとんど中学を出て1年訓練を受けただけの人達でしたから。
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石原 |
その前の年の12月にできたという第1期工場は今もあるのでしょうか。
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長原 |
それはこの窓の外、道路を挟んで向こうの煙突のある赤い屋根の建物ですよ。土地を買って、あの建物を建てて、300万円ほどで機械装置を入れて、材料の仕入れですから、500万円の資本金だけではとても足りません。そこで一千万円を借りるのに末永さんに社長になってもらったのです。
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石原 |
機械装置はドイツ仕様の?
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長原 |
新しい機械などとてもで、安い中古品を集めてきた最低限の設備です。ドイツから先端的な設備を買うようになったのはやっと10年後ですよ。
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