OKUNO JOURNAL
松倉さんにお会いしたのは1955年です。
私の人生はそこで大きく変わりました。
石原 手元のこの略歴書には、熊坂工芸の作品として「第1回全国家具展」で東京家具組合連合会長賞受賞とありますが、旭川に戻られた後のことですか。
長原 戻ってすぐのことです。私はともかく新しいものを作りたくてしょうがないわけです。作ったら作ったで当然世の中に問いたいわけですよ。話をしたら熊坂の社長も賛成してくれて、ちょうど東京で開催の第1回全国家具展に北海道から唯一出品しました。そしたらまぁ、末の方の賞ですが受賞したのですよ。その応接セットのサイドボードには北海道の特徴を出そうと思ってアイヌのアッシを貼ったりしてね。
石原 「ドイツ研修生派遣」は、市長の前野さんという方が大変積極的に推進されたようですね。
長原 前野与三吉市長は退任1年ほど前に1ヵ月間ヨーロッパ視察旅行に行ったのですが、帰国記者会見の場で「木工青年を海外に派遣する」と発表なさったのです。これは僕の推測ですが、市長はその地で「どうしても北海道の木材を輸出するのではなく地元で加工して付加価値を付けなければならない」と強く考えたのではないでしょうか。前野さんは、もともと木材業を経営なさっていた方で、北海道の木材がタダのように安い価格でヨーロッパに輸出されていることは当然ご存じだったはずです。後に向こうで僕は、派遣先のドイツの木工会社の社長と前野さんが一緒に撮った写真を見ましたがね。
石原 木工芸指導所を作ったり、松倉さんという優秀な人を所長に招へいするのも前野市長ですよね。その時ちょうど木工職人の長原青年がそこに居たということですか。
長原 私は運良くその世代に居たということです。ちょっとズレていたら私の一生も別のものだったでしょう。タイミングです。松倉さんにお会いしたのは熊坂工芸に入って3年ほどの時、1955年です。私の人生はそこで大きく変わりました。自分でも変わりたいと思っていた時に、松倉さんが「世の中は変わるんだぞ。日本人も椅子で生活するようになる。椅子を作れ!」とサゼッションしてくれたのです。日本の一般家庭ではまだみんな座卓で食事をしていた時代でしたからね。
石原 そこに前野市長の海外派遣構想…。いの一番に…。
長原 そう、いの一番で。
石原 そして片道キップ…。
長原 そう、片道キップ…(笑)。日本からドイツへの航空運賃は片道で25万円でした。それだけを旭川市から派遣費としてもらって…。あとの費用は全部自分持ちです…。ただ、「ここに行きなさい」と働き先は見つけてくれていました。キゾ社という会社でした。


<第6回> その精神をここで存分に発揮してね。 >>



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