石原 |
本日はご多忙のところ誠にありがとうございます。私は長原会長をさる事で二十数年前から存じ上げ、時には麻雀やゴルフにもお誘いいただいてまいりましたが、今日は世界最高水準の家具メーカー「カンディハウス」を作り上げた方として、その人となりの核心に触れさせていただければと期待を込めております。まずは、概念的な質問ですが、「良い家具とは」を定義するとどういうことになりましょうか。
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長原 |
「ファニチャー(家具)」というのは人々の「道具」の一つです。だから「良い家具」イコール「良い道具」と考えると、第一に使いやすいこと、その上美しく、しかも値段が手頃であること、この3つの要素を合わせ持っているものだと思いますよ。
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石原 |
「良い家具を作るためには…」という角度でおっしゃっていただけませんか。
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長原 |
ビジネスとして家具を作る場合は誰かのモノマネというわけには行きません。ところが世界中でいま家具づくりしている人は数百万人、デザインを職業にしている人に絞ってもおそらく数万人はいます。その中で「自分のオリジナリティを」と常に考え続けなければならないのです。もちろん「100%オリジナル」ということはもうないとはいえ、独自性は不可欠です。しかも独自性といっても「思いつき」では生産するための「デザイン」とはなりません。自分の会社が持っている技術を生かす方法や、最適素材を選ぶことなどは家具作りの大前提です。そのように「デザイン」とは客観的な諸要素を取り集めながら自分のオリジナリティを求めていくという「総合的計画」のことです。その上で「よい家具」は生まれると言えるのではないでしょうか。
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石原 |
「よい家具」とは、いつまでもやはり良いものですか。
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長原 |
「デザイン」とはある条件下での「総合的計画」ですから、時代の移り変わりで今日的ではなくなったりします。「ミッドセンチュリー」と言われる20世紀の中頃は、家具の分野ではアメリカや北欧で優れた物が次々に作り出された時代でした。でも数十年経った今もそれらが「良い物」かといえば疑問なのです。もちろん優れたデザインのいくつかのものは現在も生き残ってはいますが、椅子1脚の値段が80万円以上になってしまっていて、一部コレクター向けに限定的に作られているだけになりました。それは「時代の変遷」が原因です。
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石原 |
はあ。
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長原 |
20世紀の半ばまで、西欧諸国は世界中の至るところを植民地にして、そこから資源などをタダ同然で奪い取ってきました。北欧の人たちもインドネシア、マレーシア、タイ辺りから安価で良質の木材を手に入れていたのです。ところが各国が独立してきた1970年代以降、もう安く原材料が手に入らず、そのために家具材料の価格は高騰しました。すると製品は売れなくなり、作れなくなり、それで職人達は職を失い、年齢も取り、30年も経つと作る人はほとんどいなくなってしまいました。そのようにして、かつて盛んだったヨーロッパの家具工業は、すっかり元気をなくしてしまったのですよ。
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石原 |
19世紀後半にはヨーロッパでは椅子やテーブルが普及し始めたと思うのですが。
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長原 |
ヨーロッパでも一般家庭に家具が普及したのは第二次世界大戦以降のことです。それまでも上流階級は手の込んだ猫足などの高価で立派な家具をもっていましたが、農民や都市労働者の一般家庭では、日曜大工的な無骨なテーブルや椅子しか持っていませんでしたよ。20世紀の始め、ドイツにモダニズムの美術や建築を提唱する学校「バウハウス」ができて、家具や日用品もシンプルなデザインで、コストを抑えて大量生産しようとする考え方や思想を広めていきました。しかし実際にそれが製品となり市場に出回るようになるのは第二次大戦後、1945年以降です。もちろんその頃の日本の一般家庭では、家具らしい家具はほとんどなくて、せいぜい食卓としてのチャブ台やタンス、ナガモチ、粗末な鏡台といった程度です。鏡台のお洒落で美しい物は大体芸者さん用だったと聞いています。
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